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幕末維新の主役 赤禰武人 (あかね たけと) 引用資料 歴史読本臨時増刊号 76-12 幕末維新人物総覧 天保十年、周防大島郡柱島(現、山口県岩国市)に生まれた。 通称、乾之丞。赤根とも書く。医者松崎三宅の子。 幼年時代僧月性に学び、のち熊毛郡の郷校に入り、 萩藩の重臣浦勒負の陪臣赤禰忠右衛門の養子となる。 吉田松陰の門もたたいたが、上京して梅田雲浜に師事した。 松陰の死後、その門下生と交わり、江戸、京都で尊攘志士として活動。 元治元年八月の四国連合艦隊来襲のときは奇兵隊総管として奮戦した。 同年末、功山寺に決起しようとする高杉晋作と対立、脱走して大坂で幕吏に捕えられ、 長州藩内での非戦工作を頼まれ帰郷したが、 逆賊として慶応二年一月、山口で処刑された。二十八歳。<古川薫氏著> 幕末維新の主役 赤松 小三郎(あかまつ こさぶろう)
引用資料 歴史読本臨時増刊号 76-12 幕末維新人物総覧 天保二年、信濃上田藩士芦田助兵衛の次男として生まれた。 のち、赤松家の養子となり、小三郎と改め、宇宙堂と号した。 磊落不覉(らいらくふき)、経綸の才を早くから示し、 藩校鐘美館に学んで足りず、十八歳で江戸に出た。 数学、蘭学などを学んだが、当時、木挽町にあった佐久間象山にも学び影響をうけた。 のち、勝海舟の門に入り、 長崎に行って兵学、航海術を修め、大村益次郎らとも交わった。 江戸に戻って英学を修め、 英国歩兵練法の訳述が赤松の名を全国に知らしめるとともに、 列藩の注目するところとなり、 鹿児島、大垣、会津、熊本、郡山、岡山などから招聘があった。 当時、京都に家塾宇宙堂を開いて門弟八百人とあるが、 桐野利秋、村田新八、篠原国幹、野津道貫、東郷平八郎らは門弟であったという。 赤松は水戸の原仲寧、幕臣梅沢孫太郎、永井玄蕃、薩摩の西郷(隆盛)らの間を往来して、 公武合体を画策した。 上田藩から帰国の命令が来た直後、鹿児島藩士に刺され京都五条で倒れた。 すでに議会政治を展望するなど、その政論には見るべきものがあった。 墓所は、京都市左京区黒谷全戒光明寺と、長野県上田市鍛冶町月窓寺にある。(上田市史)〈井出孫六氏著〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月26日 16時20分36秒
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