2290524 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年04月25日
XML
カテゴリ:山縣大弐

山県大弐の歴史 栁子新論(りゅうししんろん)

 

 「栁子新論」は、大弐の代友作であります、

一般には、過激な勤皇思想の固まりのようにいわれていますが、

大儀名分や王政の復活のみを記した書物ではありません。いねば、一種の文武並行論です。

勿論、それは表向きの理由にすぎず、煎じつめていけば、

幕府攻撃の危険思想といえなくもありませんが、益することも沿かれていますから、

ただちに捕らえて処分するというわけにもいきませんでした。

それで、大弐の言動に何かあるまではと、幕府は大弐の様子をしばらくの間窺っていたのです。

 大弐は、そうした難をのがれるため、この本をだすに当たり、つぎのようなことを後書きに述べています。

 私の家は、釜無川のほとりにあって、六代つづいた家柄であった。

享保のはじめに、大きな水害が何度もあって、田畑を流し家もつぶれてしまった。

その際、修理のため家を直していたところ、元明時代に造られたと思われる占い発町や刀と一緒に

「柳戸新論」という一冊の本がでてきた。

でも、長い年月を経ていたため、書籍は相当いたんでいて読むことも困難だったが、その本を父が修復した。

内容は十三編からなる論文で、読んでみると政治の体制にふれるものか多く、

キリスト教を悪く唱えていることを思うと、多分織田信長の時代の物ではないか。

 つまり、織田信長の時代の本を、

自分が写し変えたにすぎないと大弐はいおうとしていたのであります。

誰が読んでも大弐の著書であるとわかる「柳子新論」を、

どうしてこのような断りをつけて発表したのでしょうか。

そのことについてはいろいろの説がありますが、それは省略して先にすすみます。

 発表された「柳子新論」は大きな記響を呼びました。

例えば、当時有名な学者だった松宮主鈴、山田穀、橘正秀などが評論し、 

後に幕末の志士といわれた久阪玄瑞や、国学者の吉田松陰なども愛読されたといわれています。

 ともあれ、「柳子新論」には大義名分をうたい、

幕府の体制を批判し、王政俊占を叫んだ貴重な著書です。

「君臣弐なく権政一に帰す」が大弐の根本理念でした。

その思想はやがては幕末の若者に引き継かれ、明治維新が実現したのでした。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年04月24日 06時12分16秒
コメント(0) | コメントを書く
[山縣大弐] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X