山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/04/23(金)05:03

素堂と芭蕉 蓑虫二人の世界

山口素堂・松尾芭蕉資料室(162)

素堂と芭蕉 二人で築いた俳諧世界 みのむしを中心 素堂と芭蕉   二人で築いた俳諧世界  みのむしを中心に  貞享 4年(1687) 芭蕉『鹿島詣』 秋八月、曾良・宗波と常陸鹿島の月見に行く。「鹿島詣」八月二十五日『鹿島詣』成る。 洛の貞室須磨の浦にの月見に行てまつかげや月は三五夜中納言と云けん狂夫のむかしもなつかしきまゝに、此秋鹿島の山の月見んと思ひ立事あり。ともなふ人ふたり、浪客の士ひとり、ひとりは水雲の僧。僧は烏のごとくなる墨のころもに、三衣の袋をえりにうちかけ、出山の尊像をづしにあがめ入テうしろに背負、杖ひきならして、無門の関もさハるものなく、あめつちに独歩していでぬ。いまひとりは、僧にもあらず、鳥鼠の間に名をかうぶりの、とりなきしまにもわたりぬべく、門よりふねにのりて、行徳といふところにいたる。ふねをあがれば、馬にものらず、ほそはぎのとからをためさんと、徒歩よりぞゆく。甲斐のくによりある人の得させたる、檜もてつくれる笠を、おのくいたゞきよそひて、やはたといふ里をすぐれば、かまがいの原といふ所、ひろき野あり。秦甸の一千里とかや、めもはるかにみわたさるゝ。つくば山むかふに高く、二峯ならびたてり。かのもろこしに双剣のミねありときこえしは、廬山の一隅也。ゆきは不申先むらさきのつくばかなと詠しは、我門人嵐雪が句也。すべてこの山ハ、やまとだけの尊の言葉つたえて、   連哥する人のはじめにも名付たり。和歌なくバあるべからず。句なくばすぐべからず。まことに愛すべき山のすがたなりけらし。萩は錦を地にしけらんやうんにて、ためなかゞ長櫃に折入て、ミやこのつとにもたせけるも、風流にくからず。きちかう・をみなえし・かるかや ・尾花ミだれあひて、さをしかのつまこひわたる、いとあハれ也。野の駒、ところえがほにむれありく、またあはれなり。日既に暮かゝるほどに、利根川のほとり、ふさといふ所につく。此川にて鮭の網代といふものをたくみて、武江の市にひさぐもの有。よひのほど、其漁家に入てやすらふ。よるのやどなまぐさし。月くまなくはれけるまゝに夜舟さしくだして鹿島にいたる。ひるより雨しきりにふりて、月見るべくもあらず。ふもとに、根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此所におはしけるといふを聞て、尋入てふしぬ。すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけむ。しばらく清浄の心をうるににたり。あかつきのそら、いさゝかはれけるを、和尚起し驚シ侍れば、人々起出ぬ。月のひかり、雨の音、たゞあハれなるけしきのミむねにみちて、いふべきことの葉もなし。 はるばると月ミにきたるかひなきこそほゐなきわざなれ。かの何がしの女すら、郭公の哥、得よまでかへりわづらひしも、我ためにはよき荷担の人ならむかし。 和尚 おりおりにかはらぬ空の月かげもちゞのながめは雲のまにまにまに 月はやし梢は雨を持ながら  桃青 寺に寐てまこと顔なる月見哉   同 雨に寝て竹起かへるつきミかな  ソラ 月さびし堂の軒端の雨しづく  宗波   神前 此松の実ばへせし代や神の秋  桃青 ねぐはゞや石のおましの苔の露  宗ハ 膝折ルやかしこまり鳴鹿の声  ソラ   田家 かりかけし田づらのつるや里の秋  桃青 夜田かりに我やとはれん里の月  宗波 賤の子やいねすりかけて月をミる  桃青 いもの葉や月待里の焼ばたけ  タウセイ   野 もゝひきや一花摺の萩ごろも  ソラ はなの秋草に喰あく野馬哉  同 萩原や一よはやどせ山のいぬ  桃青   帰路自準に宿ス 塒せよわらほす宿の友すゞめ  主人  あきをこめたるくねの指杉  客 月見んと汐引のぼる船とめて  ソラ    貞享丁卯仲秋末五日<ここから蓑虫の遣り取りが始まる> 素堂、芭蕉「蓑虫」の遣り取り芭蕉… 帰庵。素堂… 秋、芭蕉の帰庵の月、素堂亭に招く。   此月、予が園にともなひけるに、   又竹の小枝にさがりけるを みの虫にふたゝびあひぬ何の日ぞ    素堂   しばらくして芭蕉の方より   草の戸ぼそに住みわびて秋   風のかなしげなる夕暮、   友達のかたへ言ひ遣はし侍る みの虫の音を聞きに来よ草の庵    芭蕉素堂、「蓑虫説」  子光編『素堂家集』   はせを老人行脚かへりの頃 簑むしやおもひし程の庇より       この日予が園へともなひけるに 蓑虫の音ぞきこへぬ露の底     また竹の小枝にさがりけるを みの虫にふたゝび逢ぬ何の日ぞ       しばらくして芭蕉の方より みの虫の音を聞きに来よ草の庵  素堂 これに答え『蓑虫説』を草す。嵐雪… 「蓑虫を聞きに行く辞」を綴り、一句を送る。  何も音もなし稲うち喰うて螽哉芭蕉『蓑虫説』跋を書す。素堂 さらに『蓑虫賛』を著す。 素堂『蓑虫記』(◎印、俳文学館蔵素堂自筆による)    まねきに應じて、むしのねをたつねしころ  素堂主人   みのむしみのむし、聲のおぼつかなきをあはれぶ。ちゝよちゝよとなくは孝にもつはらなるものか。いかに傳へて鬼の子なるらん。清女が筆のさがなしや。よし鬼の子なりとも、瞽叟を父として舜あり。なんじはむしの舜ならんか。みのむしみのむし、聲のおぼつかなくて、かつ無能なるをあはれぶ。松むしは聲の美なるがために籠中に花野をしたひ、桑子はいとをはくにより、からうじて賎の手に死す。みのむしみのむし、静なるをあはれぶ。胡蝶ハ花にいそがしく、蜂はみつをいとなむにより、往来をだやかならず。誰が為にこれをあまくするや。みのむしみのむし、かたちのすこし奇なるをあはれぶ。わずか一葉をうれば、其身をかくし、一滴をうれば、其身をうるほす。龍蛇のいきほひあるも、おほくは人のために身をそこなふ。しかじ汝はすこしきなるには。みのむしみのむし、漁父のいとをたれたるに似たり。漁父は魚をわすれず。太公すら文王を釣そしりをまぬかれず。白頭の冠はむかし一蓑の風流に及ばじ。  みのむしみのむし、たま虫ゆへに袖ぬらしけむ。田蓑のゝ島の名にかくれずや。いけるもの、たれか此まどひなからん。遍昭が簑をしぼりも、ふる妻を猶わすれぬ成べし。みのむしみのむし、春は柳につきそめしより、桜が枝にうつり、秋は荻ふく風に音をそへて、寂家の心を起し。寂蓮をなかしむ。木枯の後はうつ蝉に身を習ふや。から(殻)も身もともにすつるや。 又 、蓑虫々々 偶逢園中 従容侵雨 瓢然乗風 笑蟷斧怒 無蛛糸工 白露甘口 青苔粧躬 天許作隠 我隣称翁栖鴉莫啄 家童禁叢 脱蓑衣去 誰知其終   葛村隠士 素堂 書 簑虫説跋(芭蕉)草の戸さしこめて、ものゝ侘しき折しも、偶簑蟲の一句をいふ、我友素翁、はなはだ哀がりて、詩を題し文をつらぬ。其詩や綿をぬひ物にし、其文や玉をまろばすがごとし。つらつらみれバ、離騒のたくみ有にゝたり。又、蘇新黄奇あり。はじめに虞舜・曾参の孝をいへるは、人におしへをとれと也。其無能不才を感る事ハ、ふたゝび南花の心を見よとなり終に玉むしのたはれハ、色をいさむとならし。翁にあらずば誰か此むしの心をしらん。静にみれば物皆自得すといへり。此人によりてこの句をしる。むかしより筆をもてあそぶ人の、おほくは花にふけりて實をそこなひ、みを好て風流をしる。此文やはた其花を愛すべし、其實猶くらひつべし。こゝに何がし朝湖と云有。この事を傳へきゝてこれを畫。まことに丹青淡して情こまやか也。こゝろをとゞむれバ蟲うごくがとごとく、黄葉落るかとうたがふ。みゞをたれて是を聴けば、其むし聲をなして、秋のかぜそよそよと寒し。猶閑窓に閑を得て、両士の幸に預る事、簑むしのめいぼくあるにゝたり。   芭蕉庵桃青 語訳草庵の戸をとざして、ひとりこもっていて、ものわびしい折ふし、ふと、   蓑虫の音を聞に来よ草の庵と一句を詠んだ。わが友山口素堂翁は、この句をたいへん興がって、詩を作り、文章を書いてくれた。その詩は、錦を刺繍したように美しく、その文章は玉をころがすような響きがする。しかも、よくよく味わってみると、屈原の悲痛な詩編「離騒」のようなうまさがある。また蘇東坡の新しさ、黄山谷の奇抜さもある。文のはじめに、父に憎まれても、かえって孝を尽くした虞の舜のことや、孔子の弟子で親に孝行して有名な曾子のことをいっているのは、人々にこのような虫からでも教訓をくみとれというのであろう。また、蓑虫がなんの能もなく才もないところに感心しているのは、人知の小を説き、無為自然を尊ぶ荘子の心を、も一度よく考えてみよと人々にいうのであろう。最後に、蓑虫が玉虫に恋したことをいうのは、人々に色欲を戒めようとするのであろう。素堂翁でなかったならば、だれがこれほどまでに、この虫の心を知ることができようか、できはすまい。「万物静観すれば皆自得す」という句 がある。万物は、心を静めてよく見れば、みな天理を内に蔵し、悟りを得ているという、この句の真意を、自分はいま、素堂翁によって、はじめて知ることができた。昔から詩や文を書く人の多くは、言葉の花を飾って内容の実が貧弱であったり、あるいは内容にのみとらわれて言葉の詩的な美しさを失ったりする。しかるに、この素堂翁の文章は、言葉の花も、また美しく、内容である実もまた、十分食べ得るほど充実している。ここに朝湖という絵師があって、この蓑虫の句や、素堂の文章の事を伝え聞いて、蓑虫を絵に描いてくれた。実に、色彩はあっさりとしていて、心持は深くこまやかである。心をとどめて見ていると、なんだか蓑虫が動くようであり、枝の黄色い葉は、いまにも落ちるのではないかと思われる。耳を傾けて聞いていると、画中の蓑虫が声を出して鳴いており、秋風が絵の中からそよそよと吹き出して肌に寒く感じる。この静かな窓辺で、静かな時を得て、こうして、文人素堂と画家朝湖の二人の好意をこうむることは、蓑虫の面目この上もないことと感謝する次第である。  (語訳は全て小学館『松尾芭蕉集 』村松友次氏による)   簑虫賛(素堂)延喜のみこ兼明親王、小倉におはせし頃、ある人雨に逢いて簑をかけられけるに、山吹の枝をたおりてあたへ玉ふ。  七重八重花は咲ども山吹のみのひとつだになきぞかなしきとの御こゝろぞへにて、かし給はざりしとかや。又、小泉式部いなり山にて雨に逢ひ、田夫に簑をかりけるに、あをといふものをかしてよめるとなん。      時雨するいなりの山のもみぢ葉は    あをかりしより思ひそめてきあをは簑のたぐひなるよし。客濡るに簑をからん時、山吹の心をとらんや、いなり山の歌によらんや。 嵐雪  簑虫をきゝにゆく辭 いで聞きにまからん。行程二十町をぞや、かの虫なきやすべき、よしや虫まつともあらじ、またるべきに身にもあらず、面白や橋はふた國にまたがり、入江の釣舟は、まさ横さまに打こぞりぬ。鷺眠り鴎流れつ、駿河の山はいつこゝら来つらん。川隈におほふ程ちかし、致景興をふるひ、あかむともなきに、柴門の雫、衣の襟にひやこく、草の露わら履につめたし。あるじなくてやありけん とがめもたまはず、さし入て見れば簑虫の聲鳴すましてつくりと居給ふ、おとろへくらべれは、霜にいまだ壯(さかん) なりしが如く、力を論ずれば風流猶ゆよし、ふむ所座する所音なし、かみ子のふるければなり、ゆえによりこの聲は聞きしか、性のさはがしきにはなに戀しともきこえず、聞く事にもあらじ、見ることにもなけん、かれが情と人間の閑と、猶閑人のすぐれたるなるべし虫よ翁のかしましからむ、鳴きぞ。    何の音もなし稲うち喰ふて螽かな  嵐雪 (『俳諧三十六歌選』所収 津田房之助著) 「蓑虫説」(略)芭蕉が自ら『荘子』を読んで「無才」「無能」の意味を晩年に悟った可能性も考えられるが、「無才」「無能」を早くも貞享四年に唱えたのは、「蓑虫説」をめぐる交流を通した素堂であった。その素堂の提唱を通して、芭蕉は『荘子』の「無才」「無能」思想を学び始めたのである。それは、芭蕉自ら「蓑虫説」にて、(略)「翁(素堂)にあらずは此むしの心をしらん」(略)「蓑虫説」が詠まれる以前には、芭蕉が「無才」「無能」の『荘子』思想を悟らなかったとしか考えられないのである。(略)芭蕉は「蓑虫説」をめぐる素堂との交流を通して、『荘子』の核心思想であると言える「無才」「無能」であるゆえに「造化」に順応することを素堂から学んだのであった。 (筑波大学、黄東遠氏「山口素堂の研究」より)   

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