厄除けに赤いお腰
これは日本の謡曲、歌舞伎にも登場するお色気のだしものだ。徒然草にでてくる久米仙人は、犀川のほとりで洗濯している女の赤いお腋の奥にこぼれる腿に目を奪われて術が破れたとある。昔から火事のとき若い女が赤いお腰をぬいで「フレッ、フレ、フレー」とふりまくると、雨をよび、火神は頭をかいて逃げさるとばかり火伏せのマジナイとしている所がおおい。いわゆる水の淵に関係ある。
甲州では火事がおこるとまず女衆が赤いお腰をひろげて火に向けて振りまくったものである。昔どころではない、つい二〇年前甲州の勝沼町で後家さまがポヤを出したとき、近所の者が駈けつけたところその後家さまはフリチン(?)で赤いお腰を夢中で振っていたとひところ許判になったこともある。
信州はどうかというと、いまも飯田線へ乗っていると、目をあざむく赤いお腰が農家の庭先から車窓へ向けて気がねなく乾してあって失笑することがある。ましてや伊那、木曾谷の山村へいくほど赤いお腰をよくみかける。これは単に夫を悩殺するひなびた手だけではなく、大いにマジナイの意味をもっている。すなわち火厄、水厄、悪魔退散という縁起ものだ。
留守の庭先へ赤いお腰を干しておけば夫婦で畑にかせぎにいってる間に火厄その他盗難などの厄をのがれるということから、いまも赤いお腰が車窓の風景をたのしんでいる観光客の目をおどろかせるのである。
要するに火難、盗難、悪魔払いにまで霊験あらたかな赤いお腰で雨乞いをしようと考えた前記の山伏仁角は、もともと女好きのペテン帥だ。女ばかりの村の女どもを山の天辺え連れていき、ぜんぶハダカにして竜神さまに精水をささげて雨乞いをさせ、じぶんはとっくりと女体をたのしもうと考えたのである。仁角の言うことは別に雨乞いのしきたりにはずれたインチキの作法ではないので、村の女衆は誰一人怪しむものもなくこれを承知した。
260年前といえば、無学文盲の農民ばかりでなく、学のある公卿や武家だって御祈祷ということをしきりに行なっていた時代だから、仁角にとって女をだますことくらいわけはない。
ハダカの雨乞い
さて翌日になった。小高い山の頂きに村中の若い女をあつめた仁角は、作法どおり祭壇をつくると、イラタカの長いじゅずをつまぐり、九字を切って、
「オンァピラ、ウンチンソワヵノムーニヤムニァ…-」
とダラニをとなえて祈濤をはじめた。
「エィ、エィッ、タッハァー」
熱をおびてきた仁角は跳ね上がり、のけぞり、まるで気ちがいになったかのようなすさまじい仕草で祈りつづけた。
この仁角の勢いに集まった女衆たちは恐れ入って、てんでに
「ムニヤ、ムニャ」
手を合わせておいのりをした。ころはよし
「さあ皆の衆や、竜神さまのおいかりを柔らげて雨を降らせていただくのには、さきほど申したように、腰のものをはずしてお山に向って打ち振るのじゃ。竜神さまは女の精水をお好みじゃ、遠慮はいらぬ」
いわば神さまによくみせてあげろということだ。女衆はなんのためらいもなく岩の上にならんで、それぞれ赤いお腰をはずして打ち振った。自昼の岩の上にたむろする数十人の女衆は日ごろの百姓しごとで顔の方は陽にやけていても中身は意外と白い肌、それにいずれもたくましいからだをしているから、その見事なながめといったらさすが女好きの竜神も顔をそむけるばかり、
「ほほう、これは、これは見事なながめじゃ、久し振りに目の保養となったわい、そろそろ精進おとしにかかろう」
精進おとしとは、長いこと山にこもって修行したあと、
里へ下ってきた山伏や行者たちが飯盛り女か遊女をだいて、とどこおっていた欲求不満をはらすことから生じたことばだ。
「おみよどの、竜神さまからお告げがござった。さあここへ来て精水をささげるお役目じゃ」
「なんじゃその精水をささげるお役目とは?」
「ここへ降りてくれば手ほどきして進ぜよう」
仁角は、みよを下の岩屋につれこむと、何やらあやしい仕草におよんだ。みよは、みよで、死別した夫からうけていた愛撫を忘れかねている三十後家の身、たちまち仁角の胸にもたれて悶える始末、
「さあこれで雨もやがてこようぞ」
精進落としをすませた仁角が、まだウットリとしているみよの体を離したときである。
「雨だー、雨が降ってきたゾー」
急に黄色い声が仁角の耳をうち、にわかに豪雨が岩はだをたたきつける音も聞こえてきた。
「おっ、これはまたなんとした偶然」
仁角は天を仰いでまるで予期せぬ奇怪な雨の襲来にじぶんながら恐れいり、こんどは本心から真剣になって竜神に感謝の呪文をとなえた。
「ピカピカ、ゴロゴロ」
すさまじい雷鳴が近づいてくると、雨はますます滝を流すように猛然と降りそそいだ。
「キャッ」「キャー」
岩の上でおどりあがって御祈祷がきいたと喜びあっていたフリチンの女衆も、地が裂けるかのような百雷の一気にとどろく音にたまげて、せまい岩屋に押し合いへし合い押しこみ、山伏仁角は裸の肉休にはさまれて息の詰まるほど。それから暮れ方まで小やみない豪雷雨に里へ降ることもできぬ女衆は、男振りもよく、霊験もあらたかな仁角をとりまいて妖しいしぐさがくりかえしおこなわれ、雨の上がるころには、さすがに女にはタフガイな仁角もフラフラになって山を降った。
笹子で生き埋めされた山伏
冗談から駒のでたような、御利益で、それからの仁角のもて方はひと通りではない。それに村中が男ひでりで、仁角はこの乾ききった女達の畑の方もうるおしてまわった。
しかし元々やくざな根性をもっていた仁角は、追々横暴となって、女を自由にしたうえ金品を奪うようなやり方をして遊び暮らしていたため、二年のちにはすっかり悪党よばわりされるほどのかわり方、
「さあこの辺が姿をくらます潮時よ」
そこで仁角はある日こっそりと山中湖畔の村を立ちのいて、現大月市の笹子追分へ居を移した。ここには姥子山、滝子山、笹子峠、破魔射場丸といった山伏信仰の霊山がある。仁角はさっそく山中湖村にあった雨乞いの霊験を一つじまんに村中を祈祷に歩き、例のとおり女をもてあそびインチキ祈祷で金品をまきあげていたため、おいおい村中の者から憎まれつつ、遂いに命をなくすはめになった。
迫分とは笹子トンネル東入口にある村で、ここには文化財追分人形のあることで有名だ。
「どうしてもあの悪業山伏を殺してしまわぬと、この村の者はどれくらい苦しめられるかわかったもんじゃあねえ」
「うんだ、うんだ、おらのかかさに狐をつけ、子をはらましゃがった。」
「いや、うちの娘もおなじや、きつねを愚けてあと金品を貪りとって狐をおとすという憎いやり方じゃ。もうゆるせんわい」
こういう村中の怒りはついに爆発し、集まった男衆によって謀殺の相談がまとめられた。
「山伏どの、さいきん笹子峠に猪がふえよって作物を荒らし回っとるんじゃ、猪よけのマジナイをするけん、こんや祈祷を頼むぞい」
村役人の誘いにのった仁角は、村人の間で自分を殺すという相談のあることも知らず、猪よけをつくった場所ヘノコノコとでかけていった。
猪は当時どこの村でも手をやいていた山のギャングだ。猪のため作物が何一つとれず、村中田畑をすてて逃散した村さえある。猪の被害をなんとかしてくれと幕府、代官所への願書がたくさんのこっているとおりだ。
猪よけは土手をきずき、木の垣をつくる二つの方法と、ポロを縄になっていぶす「イプシ」とある。これに山伏行者の猪封じの御祈祷もあった。
さて長百姓が仁角を案内したのは唐モロコシの畑であった。ここにはあらかじめ落し穴が掘ってあったので、仁角はそれと知らずに「ドスーン」と穴の底へ落ちこんでしまった。このときいっせいに姿をみせた村人たちは、年来のうらみをこめて穴の上からあらん限りの悪口雑言を浴びせた。
「ざまをみろ、うちのでいじ(大切)な娘っ子をキズモノにしやがって、この悪法印め、いまからゆっくり生き埋めにして苦しめてやるからそう思え」
村人たちは手に手にスキ、クワをもつと、穴の中へ土や石コロをなげこんだ。しかしさすがは悪党の仁角だ。顔色一つかえずに穴の」下から上をにらみつけると、
「よいか。これだけは覚えておけ、わしはいま唐キビの畑でこの世を終るが、こんごわしのうらみの念術で、この村で唐キビを作ればかならず大火事をおこしてみせるぞ」
仁角はそう叫ぶと、村人たちの手ですっかり生きながらに土の下へ埋められてしまった。
仁角を村中の者が謀殺したあと、村で唐キビを作るとかならず大火があった。
「仁角のタタリぞよ」
たれ言うとなく村の大火は仁角の恨みの呪術ということになり、仁角を生き埋めにした所へ祠を建てて村中で供養した。しかしそののちも唐キビを作る家があると、かならず大火事がおこるため、村中の申しあわせで唐キビは作らぬことにした。万一忘れて唐キビを作るとかならずその年には村に大火事があるため、笹子追分ではいまも唐キビは絶対につくらないという。