山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/04/17(土)15:33

戦国武将と馬 寛正 六年 1465 3月5日

歴史 文化 古史料 著名人(720)

献 寛正 六年 1465 3月5日 献馬、甲州武田五郎源信昌、大長ノ御馬、三月六日京着。 親元  3月15日 献馬、小野寺讃岐守馬を幕府に献ず。御馬四匹。 後鑑 9月 2日 献馬、大宝寺出羽守、御馬一匹。 後鑑 貢 寛正 六年 1465 12月29日 貢馬御覧、管領御成。 後鑑 牽 文正 元年 1466 8月16日 駒牽、記事略。後法 献 応仁 元年 1467 1月20日 献馬、斯波義廉、献馬一匹。 斎藤 7月10日 献馬、美濃国斎藤妙椿、御馬一匹。 応仁   牧 文明 元年 1469 伊勢佐八御牧をして神供を備進せしむ。内宮 牧 文明 九年 1477 9月6日 幕府、丹波守守護代内藤元貞に命じて被官人等の料所、 同国桐野牧河内村寺社領を違亂るを停めしむ。 古文  将軍又は幕府への献上馬(その馬の毛付と下印を記入する)  献 文明 十年 1478 3月10日  献馬、一色左京大夫義直、御馬一匹。 親元 献 文明 十年 1478 7月16日 献馬、芦名盛政、献馬三匹。 親元 献 文明 十年 1478 8月23日  献馬、伊勢八郎貞職、御馬三匹。 親元  献 文明 十年 1478 8月26日  献馬、朝倉氏景、献馬二匹。 親元  献 文明 十年 1478 9月1日  献馬、畠山左衛門佐義統、御馬三匹。 親元  献 文明 十年 1478 10月2日  献馬、大宝寺信濃守氏雄、御馬二匹。 親元  献 文明十二年 1480 4月10日  献馬、富樫介政親、御馬二匹。 親元  献 文明十三年 1481 1月23日  献馬、土岐成頼、御馬一匹。 親元  献 文明十三年 1481 6月19日  献馬、朝倉孝景、御馬二匹。 親元  献 文明十三年 1481 7月4日  献馬、伊勢貞宗、御馬二匹。 親元  献 文明十三年 1481 7月27日  献馬、土岐成頼、御馬三匹。 親元  献 文明十三年 1481 7月27日  献馬、持是妙純、御馬二匹。 親元    文明十三年 1481   朝倉敏景が家臣の奢りを戒めて仙台馬を斥けた。 朝倉     献 文明十四年 1482 3月12日  献馬、武田治部少輔信親、御馬一匹。 親元  献 文明十四年 1482 8月26日  献馬、伊勢因幡守、御馬一匹。 親元  献 文明十五年 1482 1月19日  献馬、土岐成頼、御馬一匹。 親元  献 文明十五年 1482 7月4日  献馬、細川淡路守成春、御馬一匹。 親元  献 文明十五年 1482 9月17日  献馬、土岐成頼、御馬二匹。 親元  献 文明十五年 1482 10月10日  献馬、伊達成宗義尚・義政に御馬。 成宗   東山御所様 御馬廿匹。   若君様 御馬廿匹。   細川様 御馬十匹。   典厩様 御馬五匹。   伊勢殿 馬三匹。  馬市の開設  毎月五日、十五日、二十五日、三ケ度 大乗 市 文明十七年 1485 7月5日  元興寺南大門前馬市立初之、古市澄胤之所行也。 献 文亀 三年 1503 5月19日  献馬、上杉民部大輔、御馬一匹。 室町 献 永正 三年 1506 3月   献馬、京極中務少輔入道、御馬一匹。 室町 献 永正 九年 1512 3月10日  献馬、畠山匠作御馬二匹。 御随 献 永正 九年 1512 3月24日  献馬、大内左京兆御馬四匹。 御随 献 永正 九年 1512 4月13日  献馬、美濃御馬進上、房州御馬進上。 御随 献 永正 九年 1512 6月14日  献馬、畠山匠作御馬四匹。 御随 献 永正 九年 1512 6月26日  献馬、朝倉代始御馬進上。 御随 献 永正十六年 1519 8月21日  献馬、高梨摂津守、馬二匹進上。 室町 献 永正十六年 1519 11月3日  献馬、今川修理大夫、馬二匹進上。 室町 献 天文 九年 1540 8月1日  献馬、朝倉弾正左衛門入道、馬一匹。 室町 贈 天文二十年 1551 1月上旬  贈馬、信長、百牧ノ二疋鞍馬を武田信玄に贈る。 松隣     参考  武田信玄と馬   武田信虎の馬-甲州ノ源府君武田信虎公、秘蔵ノ鹿葦毛ノ長八寸八分ニシテ其甲陽肝、 形例ハヘ昔「朝公ノ生 、摺ル墨ニモサノミオトラヌトテ、近国迄申ナラハセバ、 鬼鹿毛トモ名付、嫡子(信玄)所望ナレドモ相違無ク進ゼラルベキ覚悟ニアラズ。云々   信玄の相馬法 凡大将ノ馬ヲ選ブニ心得アルベニヤ、甲斐ノ武田ニテ米沢ト云シモノ、 奥ニ行テ馬ヲ求ムル時、信玄一首和歌ヲ書テ與フテ曰ク、 上かんの中かんこそは大将の乗るべき馬と知れやものゝふ 信玄五十匹ノ馬ノ中ニ乗ラレシ馬ハ四足栗毛、中段ニテ唯二匹アリ、 甲斐山梨郡トシ野トイフ所ノ百姓、此四足ヲ養ヒ置シヲ米澤見テ又ナキ馬ナリトテ、 信玄ニ申シテ五十貫ノ地ヲ與ヘテ此馬ヲ信玄ニ奉リヌ云々。   贈 弘治 二年 1556   贈馬、柳原兵部、良馬を献る。この馬嵐鹿毛を家康が室町将軍義輝に贈る。 徳川      献 永禄 四年 1561   献馬、三好義長進上、馬一匹。 三好 贈 永禄11年 1568   贈馬、信玄公より信長へ御馬十匹。 甲陽  信長御曹司城之介へ御馬十一匹。 織田信長と馬  名将 信長自讃三アリ、 第一ハ奥州ヨリ献シタル白譜ノ鷹、是希世之逸物也、 第二青ノ馬、是ハ如何ナル砂浜石原ヲ乗テモ傾クコトナシ、龍馬トモイフベキ也、 第三長康(森蘭丸)忠孝世ニ知ル所、此三ツ勝レタル秘蔵ノ由常ニ言ハレシトゾ。 献 天正 三年 1575 10月19日  献馬、奥州伊達方より名馬ガンゼキ黒、白石鹿毛御馬二疋竝に鶴取之御鷹二足進上、(略) 比類なき駿馬秘蔵是は龍の子なり。信長    献 天正 四年 1576   献馬、安東愛季、馬を信長に献ず。南部縫殿助献馬鷹於信長、 自是毎年如斯、信長公喜毎年賜書刀、秋田 献 天正 七年 1579 4月   献馬、関東常陸国多賀谷修理亮朝宗、星河原毛ノ御馬云々。総見      献 天正 七年 1579 7月16日  献馬、家康より坂井左衛門尉御使とし、 御馬進上。 信長    献 天正 七年 1579 7月18日  献馬、出羽大宝寺より駿馬五ツ云々  信長 献 天正 七年 1579 10月29日  献馬、神保越中守黒芦毛御馬進上。 信長 献 天正 八年 1580 3月1日  献馬、加藤彦左衛門、佐目毛御馬進上。信長 献 天正 八年 1580 3月29日  献馬、北条氏政より御鷹十三足、御馬五疋洛中本能寺にて進上。 信長 献   閏3月10日  献馬、宇都宮貞林、御馬牽進上。 信長 献 天正 八年 1580 4月11日  献馬、神保越中守御馬二ツ進上。 信長 献 天正 九年 1581 3月12日  献馬、神保越中守御馬九ツ進上。 信長 献 天正 九年 1581 6月5日  献馬、北条氏政御馬三ツ進上。 信長 贈 天正 九年 1581 7月17日  贈馬、信長、岐阜中将信忠へ御秘蔵の雲雀毛御馬被参候。云々 信長 献 天正 九年 1581 7月20日  献馬、出羽大宝寺御馬進上。 信長 献 天正 九年 1581 8月6日  献馬、会津の屋形モリタカ奥州の名馬を信長に進上する。 信長 献 天正 九年 1581 8月14日  献馬、信長、御秘蔵御馬三疋、羽柴筑前カタへ被遣候。 信長 献 天正 九年 1581 10月29日  献馬、越中ヨリ黒部タチノ御馬當歳二歳ヲ初として十九疋、佐々内蔵介牽上進上也。信長 献 天正 九年 1581 11月1日  献馬、関東下野国蜷川郷、長沼山城守名馬三ツ進上。 信長 献 天正十六年 1588 3月1日 献馬、 仙台御馬、二匹秀吉に献ずる。 貞山  

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