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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年06月07日
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北杜市武川町の俳人 武藤亜山 『武川村誌』  

 
武藤亜山は明治二十三年(1890)三月十五日武藤代作の長男として北巨摩郡武川村下三吹(現、北杜市武川町)に生まれた。武藤家は江戸時代には代々名主、長百姓を勤めた家柄で、父代作も村長を勤めている。
 本名を忠信といい、俳句を志し、大正から昭和にわたって、白田亜浪に学び号を亜山または忠信と称した。
 師匠の白田亜浪は長野県人で必ずしも五七五を格律通り踏まえなくてもよい季語がなくても季節感があらわれていればよいと主張した人である。
 亜山は青少年の育成にも力を注ぎ、自ら青年会に会旗を寄贈し、「将来村を背負って立つ者は現在の若者である」とその育成を促がした。
また戦後は、山梨県議会議員に立候補するなど自己の主張をうったえた。
 亜山は一旦、東京に出て働いたが、昭和の初期には大阪、広島など関西方面で商売していた関係で俳句も特に関西方面での活躍が目覚ましい。大阪在住のころは、大阪句会に所属し、「かつらぎ」「水鳥」「山茶花」神戸の「ひひらぎ」呉市の「柊」とあらゆる俳誌に投句している。
 「柊」から忠信の句をひろって見ると
   しばらくは、蟷螂(かまきり)草の色にあり    忠信
   山門の紫苑花(しおんげ)に冷あつまれる     
   秋雨やぽつりと浮いた赤い浮標          
 その後は大阪から広島県三原市に居を移し、白田亜浪の主宰する「石楠」に投句する他、備南石楠俳句連盟に所属し、俳誌「景雲」に投句するなど精力的に活躍した。
   なゝかまど紅実のたわわにも雪つもる 忠信
   雪本格となりスキー人武者ぶるい    
「石楠から」
   荒磯の岩のかげにて瓜そだち     忠信
   枕蚊帳怯へて乳につかぬ子や      
 また三原「誌のとも」の会員となり創刊号に祝吟を送っている。

亜山故郷に帰る

 昭和十年代に入ってから亜山は最も力量を発揮した時であった。昭和十三年(1938)忠信は郷里に帰つてからは石楠と雲母に毎月投句している。
 特に雲母は峡北支社に所属し、草の王、桂園等と共に活躍している。
このころの雲母峡北支社の連中は次の者が記されている。
麦笛の少年母と野辺にあり      小沢草の玉
麦熟るる奉仕の子らに朝焼す     武藤亜山
青嵐庭樹斜めに燕飛ぶ        長坂桂園
岩清水行者の胃の腑すこやかに    武藤亜山
山祇に暮色冷えつつ郭公鳴く     鰻池芳藍
白雪はたかきをゆきて鯉幟      五味酒蝶
蛇いちごしげみに梅雨の観世音    里吉晩穂
山暮れて郭公遠く啼けるのみ     飯野草翁
山荘の鉄扉はきびし月の梅      小沢二迷
垣のもとここだく落花吹きよせぬ   福田秋水
郭公に山峡の暁け雪迅む       細田我羊
腰下す石のつめたき暮の春      坂本篁石
神の留守宮に雨ふる湖ほとり     乙顔幽夢    
月落ちて遠くきこゆる踊かな     内藤貞山
椎葉汁めがねくもらす今朝の秋    風間武川
山の温泉の破風にふれゆく秋の雲   佐藤鳩村
雨去りて祭提灯おとろへし      小沢二迷
曇天にたかたか秋のつばめとぶ    篠原竹風
月更くるまゝにと踊子殖えにけり   宮沢埋剣
とぶ雲の切れまの蒼く今朝の秋    山下水月
七夕や妻に今宵の文机        武藤美兆
 『雲母』は終戦と共に休刊となったが、二十一年三月号から再び復刊された。二十五年十二月号に、雲母主催第一回甲信連合俳句大会の模様が掲載されているが、山慮に亜山の句がある。
   秋耕や八嶽の雲染む山泉       亜山
 また二十五年十二月、秋葉山代参のため身延線で富士駅において作句した。
   富士駅に月明の富士汽車曲がる    亜山
 戦後「奥甲斐吟社」の結成に当たっては、小沢武八、林立平等と共に尽力し、その発展に寄与した。昭和二十二年草の湯で句会が催されたおり、飯田蛇笏を日野春駅から牛車に乗せて行った話は有名である。
 晩年に建てた句碑は萬休院入口に
   夕立たむ駒岳の雲田にそ美つ     亜山
 と安山岩に刻んで自ら建立したが、道路工事のため現在は自宅の庭先にある。
 亜山は数多くの作句を残し、俳画も師とする腕前であったが、昭和二十七年二月二十九日没す。萬芳院黄梅忠信居士 萬休院に墓がある。
 翌二十八年亜山の一周忌に奥甲斐吟社の仲間が亜山宅に集まり寄せ句を書き残している。
雪駒の照る日
    荒るる日忠信忌       草の玉
虚極を致して亜山忌となりぬ     改耕
君が待心道きびしけり忠信忌     雪峰
香一綾句座静かな季忠信忌      一哉
亜山今亡し句は生き燦然と      耕人
亜山忌の寿寒にして昏れゆけ里    清泉
鵞高み嶺雲暗るゝ亜山の忌      一静
黙想す春灯鋲もる亜山の忌      安耕
亜山の忌句碑に落睴の光よどむ    茂樹
咲いて散る花いく度や亜山の忌    錦峰
香焚けど暮情は消えゼノ曳山の忌   峡花
亜山忌や風無き日和桃の花      初心
亜山忌や友情深む句のしくれ     美兆
奥甲斐は梅また堅し亜山の忌     映山
句無とも忠信忌たゝ集まらん     天心
春塵に逸見空赤し忠信忌       清水
亜山忌や駒岳の名句を暗誦す     夢抱
日のさす駒は照りて亜山の忌     非柘





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最終更新日  2021年04月14日 15時38分38秒
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