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2019年06月07日
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日向彦四郎(雲城)三枝雲岱に学ぶ

 日向彦四郎は江戸時代弘化元年(1844)十二月十六日三吹村日向忠右衛門の長男として生まれる。
 画家を志し南画の大家三枝雲岱に学び、雲城と号した。花鳥、山水を得意とし、襖絵など数多く残している。

師匠 三枝雲岱

師匠の三枝雲岱は文化八年に浅尾新田に生まれ本姓は小野、年十四歳の時蔵原村の三枝家に養子として入り雲岱はその号である。花鳥画を得意とし明治十三年(1880)、明治天皇御巡幸の際、御岳新道の実景、及び玉堂富貴図二幅を奉献、明治三十三年(1900)大正天皇御大婚に歳寒三友図を作り献納し、それぞれ賞詞を賜り、宮内省が七〇以上の画家を召して屏風絵を画かしめた時にも、その撰に入るなど多くの光栄を得て、明治三十四年(1901)三月、九十一歳をもって没した人である。このような大家雲岱を師とした雲城は何歳ごろ雲岱に学んだのであろぅか、下三吹に山の神信仰の大山祇命の幅がある(武藤孝行蔵)。この絵を雲岱が元治元年に画いているので、下三吹に来遊して画いたとすればこの時弟子入りしたのではないかと思われる。雲城二十一歳の時である。この時からとしても雲岱が明治三十四年(1901)に没するまでとすれば、三七年間雲城五十八歳の時まで学んだごとになる。最も画風が熟した時代であった。
 また雲城は和歌、俳諧を好み書にも巧みであった。号は松哉と称し、大正二年(1913)三富貴神社の献額にその名が見える。画家としての弟子には武藤素白等があり、素白は清一郎といい後に対岳堂素白と称し、明治三十六年(1903)萬休院の献額にその名が記されている。雲城はこのように多岐にわたる風流な持主で襖絵など現在のように印刷物のなかった時代には大いに受けたものである。大正十五年二月四日八十三歳をもって没した。
 八十一歳の時の和歌であるが本人はさぞ嬉しかったことであろう。これは敬老会招待を
受け一首をよめる」と題して
  冬がれの菊のすがたや老みえて 花にましわるけふの嬉しさ
八十一翁 松哉





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最終更新日  2021年04月14日 15時34分14秒
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