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2020年06月11日
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カテゴリ:武川衆資料室

❖柳沢吉保『甲斐国志』国主ノ部 一部加筆

一 松平美濃守吉保、「武家補任」に云う柳沢刑部左衛門安忠の二男、初め柳沢弥太郎保明(やすあきら)、神田御屋形の小姓なり。

柳沢氏は本州(甲斐)武河衆の一員なり。御本丸に入る節に御小納戸と成る。(延宝九年)の『武鑑』にも見える。

貞享二年丑(一六八五)十二月廿八日に出羽守従五位下に成る。

『諸家盛衰録』に云う、

貞享三年寅(一六八六)正月十一日に千石加増され、二千三十石。

貞享五年辰(元禄元年 一六八七)年御側御用人となる。

「補任」に九月十二月十一月十二日、一万石を加える。

「古今城主ノ記」に、

元禄三年午(一六九〇)上総佐貫とあり、石高は記載してないが、蓋しこの時の事なり。

元禄三年午(一六九〇)三月二十五日、二万石を加える。拝借金三千両。「補任」に云う。従四位下。

古い「武鑑」に、泉州大島高三万二千三十石。

元禄五年申(一六九二)十一月十四日、三万石を加える。

元禄七年戊(一六九四)正月七日(「補任」は八日)に一万石を加え、合七万二千三十石。武州河越の城主となる。

「補任」に云う、

元禄七年戊(一六九四)十二月、侍従に任ぜられる。

元禄十一年(一六九八)七月二十一日少将に任ぜられる。

元禄十年丑(一六九七)七月二十一日二万石を加える。

元禄十五年(一七〇二)三月九日一万石を加える。

宝永元年申(一七〇四)都合十五万石余を賜い、本州三郡一円を領する。

宝永二年酉(一七〇五)二月とこれは御朱印にあり、二月十九日引き渡しなり。吉保初め懇下望み被封の上、本州恵林寺不動明王へ祈願の願書を捧げ置きしに、封を受け後に願いを解いたと云う。

柏尾山(大善寺)に奉納の画幅あり、記に云う、奉蔵、武州川越城主従四位下行侍従兼出羽守源朝臣柳沢吉保とあり。

 

【筆註】この記載事項は重要である。これまで、一蓮寺や常光寺それに恵林寺の所蔵物については詳細の記があるが、この柏尾山大善寺に奉納されたという画幅(観世音菩薩画像一幅)については触れられていない。調べてみる必要がある。

『甲斐国志』大善寺の項を見ると、

「水晶念珠一聨」同寄付なり。寛政中、松平甲斐守様(吉里)当寺に詣でし、懇望さるるに依りて之を贈る。和歌一

首を詠じて謝せらる。藩臣久城部次兵衛、吉田権十郎をして添え書き致意せしむ。法性院とののも賜へる念珠をゆつ

り 聞こえけるかしこさを謝す 保光(吉保)

 かすかすに念の珠くりかえし むかしを今になほあふかなむ

◎『白旃檀釈迦の坐像」松平美濃守保明の北堂看経仏なり。故ありて当時(寺)に納む。

【筆註】『甲斐国志』に見る恵林寺と柳沢家

 ○ 霊廟 保山夫婦の霊屋皆回廊なり。

 ○ 宝永二年、(信玄公)百三十三回の辰に相当れる折、松平美濃守吉保本州に封もられ参詣して和歌を詠ず。

     百あまり三十三年の夢の山 かひありてけふとふそ嬉しき

 ○ 保山の霊屋に安ずる所の夫婦の像は、法橋浄慶者刻せり。享保九年和州郡山へ得替わりに依りて毀廃し、龍華山永慶

寺当寺に改葬して遷置く所なり。

 ○ 黒糸威鎧一領(妙珍作)、保山寄する所なり。

 ○ 享保中勅許甲府八景の巻軸(松平吉里の寄する所)

 ○ 枕流軒(松平甲斐守宿坊)

「補任」に云う。

元禄十四年巳(一七〇一)十一月二十六日、柳沢私邸に渡御(御成)の時、父子共に松平の御氏号並びに御諱の一字を

賜り、松平美濃守吉保と称する。

宝永六年丑(一七〇九)六月三日隠居する。十月十日除髪して保山と号す。

正徳四年午(一七一四)十一月二日に逝去する。年五十七才。

法諱は〔永慶寺殿甲陽羽林次将保山源養居士〕と号す。寺墳のことは古府中の条に詳しい。

吉保本州を拝領ノ時、ご御前に於いて詠歌一首を上げる。

めくみある 君につかへし甲斐ありて 雪のふる道 いまそ蹈みん

府中一蓮寺に所蔵する肖像(加納養朴の筆)の上に自詠の和歌二首を書す。云う、仙洞叡覧吉保所詠名の所百首の内御長点の歌

  嵐吹く 生駒の山の秋の空 曇りみはれ み月そ更行

 

朝日かげ さらす手つくり露ちりて 垣ねにみたす玉川の里

 

宝永八年(一七一一)二月、一蓮寺に吉里が詠ずるところの和歌

 

 池水の すめるこゝろの長閑さを 問はゞ千年の 松やこたへん

府中八幡宮住吉社等に奉納の和歌あり、各々社記又は古跡の部にも記してある。






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最終更新日  2020年06月11日 12時00分11秒
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