カテゴリ:俳諧人物事績資料
頓 悟 蕪村
亡師宋阿の翁は業を雪中庵にうけて、 百里、琴風が輩と鼎のごとくそばだち、 ともに新意をふるひ、作家の聞えめでたく、 常時の人ゆすりて、三子の風調に化しけるとぞ。 おのおの流行の魁首にして、 尋常のくわだて望むべききはにはあらざめり。 師や昔、武江の石町なる鐘楼の高く臨めるほとりに、 あやしき舎りして市中に閑をあまなひ、 霜夜の鐘におどろきて、 老のねざめのうき中にも、予とともに俳諧をかたりて、 世の上のさがごとなどまじらへきこゆれば、 耳つぶしておろかなるさまにも見えおはして、 いといと高き翁にてぞありける。 ある夜危座して予にしめして曰、 夫俳諧のみちや、かならす師の句法に泥むべからす、 時に變じ時に化し、 忽焉として前後相かへりみざるがごとく有べしとぞ。 予、此一捧下に頓悟して、 やゝはいかいの自在を知れり。 されば今我門にしめすとどろは、 阿叟の磊落なる語勢にならはす、 もはら蕉翁(芭蕉)のさびしほりをしたひ、 いにしへにかへさんことをおもふ。 是、外虚に背て、内實に応ずるなり。 これを俳諧師と云ひ、信心の法といふ。 わきまへざる人は、 師の道にそむける罪おそろしなど沙汰し聞ゆ。 しかするに、今このふた巻の歌仙は、 かのさびしをりをはなれ、 ひたすら阿叟の口質に倣び、 これを靈位に奉て、 みそみめぐりの遠きを追ひ、 強て師のいまそかりける時の看をなすといふことを、 門下の人々とゝもに申ほどきぬ。 (蕪村文集)
【註】 宗阿は早野氏、江戸の人、日本橋石町に仕して夜半亭と称した。即ち夜半亭第一世で、蕪村は第二世である。宗阿は初め嵐雪に就き、叉、其角に学び江戸座風の句を作ったが、蕪村に教へるには「かならず師の句法に泥むべからず」と云った。 蕪村は其語に悟って俳諧の自在を得たといふ。聞くべき言葉である。 宗阿は薙髪して巴人といひ、寛保二年六月六日歿した。年六十六。 それより「みそみめぐリ」即ち三十三回忌は安永三年である。此二巻の歌仙は今傳はらない。
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最終更新日
2020年06月13日 21時14分20秒
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