山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/04/11(日)15:34

素堂の系譜 『連俳睦百韻』素堂は甲斐で生まれ甲府で育っていない

山口素堂資料室(513)

抑々素堂の鼻祖を尋るに、其ノ始メ河毛(蒲生)氏郷の家臣山口勘助良佞〔後呼レ佞翁)、町屋に下る。山口素仙堂太良兵衛信章俳名来雪、其の後素仙堂の仙の字を省き素堂と呼ぶ。 其の弟に世をゆずり、後の太良兵衛後ち法體して友哲と云ふ。後ち桑村三右衛門に売り渡し婚家に及ぶ。其ノ弟三男山口才助言は林家の門人、尾州摂津侯の儒臣。其ノ子清助素安兄弟数多クあり皆な死す。其ノ末子幸之助佗名片岡氏を続ぐ。雁山ノ親は友哲家僕を取立て、山口氏を遣し山口太良右衛門、其ノ子雁山也。後チ浅草蔵前米屋笠倉半平子分にして、亀井町小家のある方へ智に遺し、其の後ち放蕩不覊て業産を破り江戸を退き、遠国に漂泊し黒露と改め俳諧を業とし、八十にして終る。

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