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2020年06月16日
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カテゴリ:山口素堂資料室

素堂、母の喜寿の宴

  

【解説】

 

 これまで素堂についての間違い記事について、時折訂正してきたが、素堂の妻の死、母の死についてはそれが顕著である。素堂は生涯妻を娶らずとか、素堂の母の死は元禄三年などがそれである。素堂には妻も居たし、孫(素安)も居た。素堂の妻は甲斐の代官野田氏の娘であり、芭蕉が死んだ折に葬儀に出席できない旨の手紙を曽良に出している。また母の死は幕府儒官人見竹洞の書に明記してある。

ここに掲載の『韻塞』は元禄五年刊行なので、素堂の母は健在で、元禄八年の夏に急逝した。


 素堂の動向

元禄 5年1692 51才

七月七日、素堂の母、喜寿の宴。
『韻塞』入集。李由編。序奥は元禄九年冬、刊行は元禄十年。

 七 月
 素堂の母、

七十あまり七としの秋、

七月七日にことぶきする。

万葉七種をもて題とす。

これにつらなる者七人、

此結縁にふれて、

各また七叟のよはひにならはむ。
   萩
 七株の萩の手本や星の秋    
    芭蕉
   尾花
 織女に老の花ある尾花かな   
    嵐蘭
   葛花
 布に煮て余りをさかふ葛の花  
    沾徳
   なでしこ
 動きなき岩撫子や星の床    
    曾良
   女郎花
 けふ星の賀にあふ花や女郎花  
    杉風
   ふぢばかま
 蘭の香にはなひ侍らん星の妻  
    其角

  むかし此日家隆卿、

七そじなゝのと詠じ給ふは、

みずからを祝ふなるべし。

今我母のよはのあひにあふ事をことぶきて、

猶九そじあまり九つの重陽をも、
 かさねまほしく、おもふ事しかなり。
   あさがほ
 めでたさや星の一夜もあさがほも  素堂


 【註】李由

 

寛文二年(1662)生、~宝永二年(1705)歿。

年四十四才。本名河野通賢。

近江国平田村の真宗光明遍照寺第十四世住職。蕉門。
  

許六の盟友として、この書等を共著。
   海棠や初瀬の千部の真盛り 〈『篇突』〉

 《註》
 この喜寿の宴には、

 

菊本直次郎氏所蔵芭蕉真蹟の一幅(阿部正美氏著『芭蕉伝記考説、行実編』紹介)や、今栄蔵氏の『芭蕉年譜大成』にも記載があるが一部異なる箇所がある。
 今回は『日本俳書大系』所収『韻塞』と芭蕉真蹟一幅による。
  

 素堂の母の死 資料 

 

(1)  元禄三年説

甲府尊躰寺山口家の墓所にある墓石刻字による。

(『国語国文』「山口素堂の研究」荻野清氏著)

 

(2)元禄八年夏、人見竹洞著 

       素堂山処士養八旬 

老萱堂至孝乙亥之夏 

忽然遭喪哀       






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最終更新日  2020年06月16日 14時29分03秒
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