カテゴリ:山梨の歴史資料室
身延風穴 諸国里人談(菊岡米山) 甲斐国身延山昔は蓑父と書たり。日蓮上人開基の後、當山は新羅三郎四代の孫南部六郎實長の領地なり。波木井殿と稱す。上人に帰依し、當山を霊場とせり。其むかし西行法師、爰に来り、雨しのぐ蓑父の里の垣根 しはしすだちぞ初るうぐひすの聲 此谷をうぐひす谷といふ。此所より初音しそめて、諸方の谷の鶯鳴くとなり。題目堂のあなたに風穴あり。これより吹風尖にして、極熱にも爰に至れば肌 、剣をつらぬくごとし。此穴は信州諏訪へ通りぬけたりと云り。いかなるゆへか。諏訪の神霊、當山の實物にあり。七面山は夫より上る事三里、嶺に大きなる池あり。その形。曲龍のごとし。底より湧く清泉なり。其水の落るは春気瀧といふ。百丈の白布をさらせり。これは天竺無熱池の水末なりといへり。此池に七ふしぎあり。くはしき事は身延鑑にゆづりて爰に省。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年07月09日 22時16分46秒
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