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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年08月17日
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カテゴリ:山口素堂資料室

毫の秋 ふでのあき 寺町百庵

 

この書には、山口素堂について重要な内容が記載されている。

  

一、素堂の孫素安のこと。

 二、素堂と百庵の関係。

 三、素堂亭が享保二十年まで存在していたこと。

 四、素堂号の継承のこと。

 

 これらのよって、これまでの素堂事績・生涯が大きく変わること。

 

【毫の秋 本文】

 

解 題

 

寺町百庵編。

九歳で夭折した編者の息安明の一周忌追善集。

百庵は寺町氏、名は三知、また友三。

号を道阿・梅仁翁・不二山人・新柳亭という。

また、蜃子(しんし)言満と狂名し、越智百庵とも記している。

天明六年二月二十七日没。享年九十二。

浅草清元寺に葬る。

居所を替る癖があり、移居百度に及んだので百庵と号したという。

幕府の茶坊主で百俵二人扶持をうけ、御坊主組頭をつとめたが、

事あって(柳営連歌の連衆となるべく運勤したためと伝える)

鼓楼の時守に落とされ、後には小普請入りとなる。

茶坊主三百余人の中で、成島道筑と並んで名物男となり、

かの紀伊国屋文左衛門が吉原で豪遊し、

小粒金で豆撒きをした時、

その撒き手となったのが百庵であったと伝える。

俳諧は二世青峨門(一説に素堂門)で、

編著に『花葉集』(明和頃刊)がある。

俳諧のほか連歌師、歌学者、故実考証家としても知られ、

『梅花林叢漫談』『林叢余談』『歌嚢井蛙談』『楓考』

『蕨薇考』『花月弁』『芭蕉考』などの著書かおる。

 

編者自身や息安明の生い立ちを語った冒頭の追悼文は伝記資料として貴重であるが、それによると安明は七歳の頃から手習師匠勝間龍水の許に通い、栢筵の養子升五郎(三代目団十郎・俳号徳弁)・江戸座の宗匠羊素の息長芙とは同窓の仲で、本書にも龍水(新泉勝安定)の追悼詩、長英・徳弁の追悼句が見えている。

 

また、素堂の孫と称する山口素安の追悼文によると、百庵は素堂の一族であるといい、安明の埋葬の日(享保二十年九月十一日)をもって素堂の号を百庵に与えたとある(来雪の素堂号襲名h披露集『連俳睦百韻』(安水八年刊)の序文に、素堂襲名をすすめられたが辞退したと、百庵自ら述べている)。

 

 入集する作者は、

青峨・沾洲・存義・珪琳・魚貫・祇徳・祗明・空翠・暁雨

・午寂・馬光・湖十(二世)・山夕・調和・老鼠(一世湖十)

等の江戸座俳人、

友以・訥子・何江・栢菰・三升ら役者、

仙鶴・巴人・軽子らの京俳人である。

 

 

妙法蓮華経如来寿量品第十六

爾時仏告諸菩薩及一切大衆諸善男子

汝等当信解如来誠諦之語復告大衆汝

 

  父いまそかりし時は予いまた喪服の苦みをしらす

唯いたつらに年月をなかめくらしつ、

春は花のもとに戯れて

耳に糸竹のよろこはしき声を聞

秋は月の前に遊ひて口に美味の妙なるを

甘なひあるは仮に薫すと謂し

仇なる色に迷ひて人の嘲り世の談をも弁へす

雨露にそほち歩行てけふくれ

あす又いかゝはたのしみてむと一日も

こゝろやすからさりきけにや

戒むること色に在といみしき聖の教さへ

ゆめとのみなかめはてぬ

漸三十も過るにまかせてをのつから

ひとしき友とちもともに年経りて

又いはけなしと見し

人はいつしかたくましきおのことなりて

其ともからははや我ともからに心をきて

さすかに遠法師かましはりならねと

かれよりは只老たる交りのことくに

そもてなし侍るされは心の花ありとても

をのつから他の面目を思ひつゝけて

ひとしき友とちを招きもとめつところの

垣の隔なくもからひゆくましはりこそ

いとわりなけれ其ましはるにおけるや

茶術はいとけなきより父か命して師をとり

学ひならはせける道なれは

猶更怠らす有けるか

予か生質よろつにつけてさとし得ることの

進みやすくやゝもすれは一歩千里に走りて

彼はよし是はあしなとことことに看破するの

一失あれはしかも其の道を全うする事難し

あるは西国に生るゝの道なれはと

やまとうたに心うつりてとりもえぬ

魚のこゝろを

恥もせて鵜のまねしたるからす河

とよみしにたかはす是も亦満すしてやみぬ

詩文章の事はもとより短才にして

宰予か昼寝も我が懈れるには似さらむ

とかくして明し暮すうちに

放逸無慙なるふるまひすくなからす

前非を悔いること又いかはかりかは

さるか中にも享保丁未の歳はからすも

一子を儲く日々にうふすなのさちをねかひぬ

つらつら渠か生さきを見るに

親として誉へきの道あらねとも

才智の眼うるはしく

七歳の冬勝間何某の許につかはして

筆とる道を習はしめ既に三年の春をへぬ

いかなれは葉月すゑつかた気色

例ならすして枕につく医療数をつくし

神にまうし仏に願ひて

社閣の扉敲かぬ日なし

末の秋はしめつかたはいよく

まくら重けなりけふはや菊花を祝ふ日なり

と夏箕か告るにしたかひてその衰たる

顔はせを慈童か七百歳にことよせて

千代はへぬへしとことぶきつゝ

かの滴をもて析々其脣(くちびる)に

そゝさぬしかはあれと頼なきに

心を奪れて

 

   人参に菊のちからを合せても

 

かく口号つゝれは

十日仙掌の露も其験なくよはりゆく

まくらに袖を覆ふて

  

なみた川袖も黄菊に染にけり

 

十一日深川西光寺に葬る

北口家母及妻か悲しみを見るに

我楢言葉なし外を思ふへからす

唯南無阿弥陀仏

 

十二日暮に詣ぬ

   しら菊今西の光の寺詣

 

十三日世人皆こよひの月光を弄ぶ

予喪にありてこれを憚るむなしく

戸を閉て一炷の前たゝ杯名のみわひし

   きぬかつきかふりて済ぬ胸の月

つらつら世のはかなきを観すれは

千とせのためしある松といへとも

時として墔敗す鳥呼鈍者寿

   松ふく今団栗の実の捨所

 

  追 哭

 

越堂主人の嫡子安明英詞は

頴悟の聞えありしに、

苦空一片の孤雲の二字を

はるかに香華することゝ成りぬ、

もとより越堂士は

予か土餅の交りたるに、

安明子又愚息とをのつから

二代のむつみありて、

書法さへ同門たりし

これかれに一しほ思ひあはせ

いとゝ哭しはへるのみ。

 

着せ綿や菊も昨日の世ははかな    羊素

 

安明子とは、

はしめより遊ひむつみ、

又ともに机をならへたる

 

   兄弟子のかけし今硯筆の露      長芙

  

  

 

百庵丈士の令子終焉の際にいたりて

其病床をたすけぬ越堂子悲しみに堪す

面壁の句有我猶此睦を追ふて

 

九年母今秋を            幸徳

      はなるふ凰の道

  哀文章連歌之句

 

羅田の万氏か言に聡慧早発するは

真陽の洩るにして夭するの由なりといへり

ここに己百庵主人の全量其兆あり予往に

一望して心潜にこれを憂ふ

一日柄を告て治を請ふにあたって嘆て

曰命なるかな倉扁再生すともなんそ効験を立むや

家人相対して袂を額にしてことはなしなを時に

声勢あるたくひをつくして医薬方その他

神仏の護救いをさへに百計千慮いたらさるなし

つゐに暮秋十日木に就にはなりぬ

見すしらぬ人のうへさへあるをまいてと

しつき馴睦ひたるゆかりは

いかはかりのこゝろならむ

言は意をっくさすなれと

賦してたむけくさとはなしたり

     

 南皐老人 横地就正拝

 

菊月の名のみ残りて十日かな

 

関守や隔て妻の小夜砧   百庵

秋風に星のあやとり別れけり

    

階下枝芳草避邪魅

児遠の沓間違ぬ藤袴

 

執文朝か愛子失にし嘆き

我もおなしかなしみの袂を湿すまことや

往し年九月十日

我祖父素堂亭にコ一宴を催しける頃

よめ菜の中に残る菊

といひしは嵐雪か句なり

猶この亡日に

おなしきを思ひよせて

   十日の菊よめ菜もとらす哀也

 

かくて仏前に焼香するの序

秋月素堂か位牌を拝す百庵

もとより素堂か一族にして

誹道に志厚し我又誹にうとけれは

祖父(素堂)か名癈れなむ事を惜しみ

此の名を以て百庵へ贈らむと思ふに

そかゝるうきか中にも道をよみするの

風流みのかさの晴間なくたゝちにうけかひぬ

よつて素堂世に用る所の押印を添て

享保乙卯(二〇年)の秋九月十一日に

素堂の名を己百庵へあたへぬ 

                   山口素安

 






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最終更新日  2020年08月17日 07時10分20秒
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