カテゴリ:山口素堂資料室
素堂『千鳥掛集』序文 正徳二年(1712)七十歳。 『千鳥掛集』序文
鳴海のなにがし知足亭に亡友はせをの翁やとりせるころ、翁おもへらく此の所は名古屋・あつたにちかく、桑名・大垣へも遠からず。千鳥がけに行通ひて残生を送らんと星崎の千鳥の吟も此折りのことになん。あるし知足此ことは耳にとゞめて其の程の風月をしるしあつめ、千鳥かけと名付て他の世上にて見そなはしてんとのあらましにて、程なく泉下の人となりぬ。其子蝶羽、父のいひけんことをわすれすながら世わたる事しげきにまきれてはやととせに近く、星霜をふりゆけは世の風體もおのかさまさまにかはり侍れと、父の志をむなしくなしはてんもほゐなきことにおもひとりて、ことし夏も半はに過行ころ、洛陽に至り漸くあつさにちりはむる事になりぬ。やつかれ折りふし在京のころにて此のおもむきをきく折ならぬ千鳥のねをそへて集のはしに筆をそゝくのみ。 我聞 川風寒き千とり鳴く也 の詠は六月吟し出てもそゝろ寒きよし。この千鳥かけも時今炎天に及へり、其たくひにや沙汰し侍らん。又聞、東山殿鴨川の千鳥をきゝに出てたまふに、千本の道貞といへるもの袖にらんしやたいをたきて出てけるを聞めして其香爐を御とりかはしありて、今の世に大千鳥小千鳥とて賞せられけると也。此の後かほと至れる千鳥を聞すよし今香はたかすとも星崎の千鳥にひとりもゆきあるは友なひてもゆきてきかまほしき。又そのあたりの歌枕松風の里に旅人の夢をやふり。ねさめの里に老のむかしをおもひ夜寒の里の砧をきゝ、なるみ潟しほみつる時は上野の道をつたひ、雨雲には笠寺をたのみ月のなき夜も星崎の光りをあふきて、猶風雅の友よひつきの濱千とりこれかれ佳興すくなしとせすむへなるかなはせをか此所に心をとゝめしこと。 正徳仁辰年林鐘下浣 武陽散人 素堂書 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年08月28日 06時19分16秒
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