山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2020/09/09(水)07:29

素堂と馬光・素丸

山口素堂資料室(513)

素堂と馬光・素丸  馬光は『葛飾正統系図』によれば、二世其日庵を名乗り初名を素丸といった。俗称は長谷川半左衛門・藤原直行。名を白芹と云い、素堂の門に入り絢堂素丸と改め、後に其日庵二世の主となり、『五色墨』や『百番句合』を著した。  絢堂素丸は二代目で葛飾蕉門では三代目の総師になっているが、これは素堂を初代とするからである。初代素丸は始め誰に師事したかは判明しないが白芹と云い、素堂の社中となってから絢堂素丸と改め、後に馬光と称した。その門人二代目白芹が統を継いで二代目素丸となった。仮説を逞しくすれば、その素丸が馬光と同胞であった子光の追悼句を贈ったのではないだろうか。  子光の『素堂句集』序文には素堂の性格や思惑態度が書かれている。 ……素堂は聞き分ける力や記憶力が優れていて、数多く詠んだ詩歌和文らの作品は、みな  己の胸中に秘めて全て覚えている。人が紙と硯を添えて句や文を請えば、すぐに筆書を与える。左のごとき草稿(『芭蕉庵再建勧化簿』)はここに写して高位高官の人はこれを召し、好事者は最も鐘愛する。招かれるとそれに従い宿することは数日から十日にも及ぶ。然るに人や待遇によって勿体振ったり別け隔てる考えはなく、誰彼とも話し合いしかもその内容については口を閉ざし、人に説く話は固く他言はしない……

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