2290533 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020年10月28日
XML
カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室

白崩岳(駒ヶ岳)に登る記 高橋白山

 

(読み下し・注=山崎安治)

『日本の名山 16 甲斐駒ケ岳』

  串田孫一氏・今井通子氏・今福竜太氏 編

  博品社 1997

   一部加筆 山梨歴史文学館

 

辛巳(かのとみ)の秋(明治十四年)、伊藤瀬平と白崩岳に登る。岳は上伊那郡の極東に在り。

其の険絶をもって、登る者はなはだ希なり。

よって行程を識り、後に遊ぶ者を啓せんと欲し、

九月五日、薄食に発し、非持、溝口の二村を経て、三峰川東岸に出づ。

二里二十四町にして黒河内村に至る。

路は両岐となり、右は鹿塩に通じ、左は白崩に達す。

小黒何の傍に一小村あり。坂に倚り、(のき)を架する者十八戸。名を黒河という。

また行くこと二十八町にして戸台に至る。途に二つの奇石を見る。

其の一つは高さ七、八間、長さ六十七間にして全岩が蛇紋、頂に白斑あり、形状は鷹に似たり。

よって雄鷹岩という。其の一つは川を隔て、林木の表に出る。

基は小さく、頂は大にして巨傘を張りたるが如し。故に傘石と称するあり。

戸台の戸は三、口は十二にして老有一株あり。

樹心は空洞にして苔、外皮を蝕み、揖拙は様柝す。

左に折れ、東の渓に入れば二家あり。藤戸袋という。瀬平曰く。

久保田兼松という者あり、余と同甲にして黒河内校に学ぶ。

往来四里ばかり、いまだかつて懈怠なし。

県令永山盛輝これを褒し物を賜ると云う。

日はすでに下春となり、よって久保田氏に宿す。六日起れば、大霧にして咫尺を弁ぜず。

屋を出づれば日はすでに高し。

行くこと五、六町にして白岩、螺岩ありて路の傍に対時す。

白岩は三石に至り、数百歩の間河水地に入る。

三石以上は清流隠見し、(ゆう)(りんはつらつ)溌剌たり。

(すなど)るものは、巨石を転ずればすなわち、水はたちどころに涸れ、捕獲甚だ多しという。

流れを遡ること一里三十町、雄勝、地蔵の二岳の間を過ぎれば白崩の麓に到る。

山は皆白沙、松は皆五葉にして、景色ははなはだ奇なり。

是に至れば河水二派を見、東に流れるは甲斐早川となり、西に流れるは即ち小黒河なり。

源窮は山を削る如く、危石頭を圧し、勢はまさに墜下(ついか)せんとす。

歩々砂崩れ、石を転し、いよいよ登ればいよいよ険しく、矮松地に着き蔓草の如し。

山腹に至れば寸木も生ぜず。ただ万石飛起して天を指さすを見るのみ。

いまだ頂上へ至らざる八、九町のところに平らなるところありて就憩す。

西北に鵝湖を望み、長々として星の如し。

東南に巨麻、白峰、鳳凰の諸岳、遥か駿連国界に連なる。

瀬平曰く。頂上は極めて高し、午を過ぎれば必ず曇れり

すなわち気を鼓して上る。

達すればすなわち雲すでに合し、迅風衣を払い、力を極めて健めれども、

脚を置きて安んずることをあたわず。

すなわち岳ノ神廟に謁して山を下る。

兜城の岳麓に至る。約五里十町。麗より以上の里数は詳らかならず。

袖時儀を按ずるに経過すること二時三十分也。  (原漢文)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020年10月28日 21時47分19秒
コメント(0) | コメントを書く
[甲斐駒ケ岳資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X