2020/11/01(日)06:10
吾妻鏡 あずまかがみ 『日本の古典』 名著への招待 北原保雄氏 編
吾妻鏡 あずまかがみ 『日本の古典』 名著への招待北原保雄氏 編大修館書店 1986・11・1 一部加筆 山梨歴史文学館 二十七日、甲午。……当宮別当阿闍梨公暁、石(いし)階(ばし)の際に窺ひ來り、剣を取りて丞相(実朝)を侵したてまつる 書名に「鏡」が付されているところから、歴史物語の鏡物の一類と同じように考えると、とんでもない誤りを犯すことになる。いわゆる鏡物形式とも無縁であるし、一定の歴史観とか主題といった、内容に統一性を与えるものは一切ない。これは鎌倉幕府編纂の公的史書である。東国史を「記」とも「史」ともしないで「鏡」としたのは、幕府政治の歩みを亀鑑として示すという、高揚した編纂者の意図によるものであろうか。 五二巻(本によっては四七巻)、以仁王の令旨を奉じて頼朝が挙兵した治承四年(一一八〇)を東国史の紀元として、文永三年(一二六六)六代将軍宗尊親王の辞任帰京までの、七十有余年の記録である。和風漢文体で、主な出来事を日次体裁で羅列した編年体記録であるが、新将軍の着任ごとに巻を改め、袖書を冒頭に付して、院・天皇・摂政関白・将軍を順次列挙するという一定の形式をとって記事に入っている。まさに執権政治の威容を公式史書編纂でみせたというところである。鎌倉幕府政権というと血ぬられた陰惨な政治史という連想がわき、政敵に直接手を下さず、同志討の形で次々に制裁を加えて倒し、実質的政治の独裁権をかち得た北条氏の存在が問題であるが、『吾妻鏡』においては見事に正当化されている。北条執権制下の史書であるから当然といえば当然なのであるが、記録されたことがすべて真実とは言いえず、事実関係は、他資料を照合して慎重に定める必要がありそうである。歴史家が一致して『吾妻鏡』の史料的価値に疑問符をつけるのも、偽文書を取り入れたり、年次に誤りがあったりの編纂上の杜撰さ以外に、こうした問題があるからであろう。 例えば二代将軍頼家について、徹底的にその無能ぶり蕩児ぶりを強調し、将軍の座を追われ修善寺に幽閉され殺害されても仕方ないように描く。これに対し実朝は好意的であるが、実朝暗殺の公暁関係の記述は簡単である。頼朝の死に関しても、その前後を含めて記録が欠落している。故意にしたのか、散佚か疑わしいところである。また頼朝と政子の夫婦関係が、亀の前等の頼朝の女性関係をめぐって詳細に記述されているのは面白い。概して義経・範頼・曾我兄弟の仇討ち事件等を含めて源家三代の記録部分が一番興味をそそられる。 史料性に問題があるにしても、関東側からの鎌倉時代史を探る重要史料であることは論をまたない。 (麻原美子氏著)