山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2020/11/02(月)05:19

歌に見る日本の美学 月について

歴史 文化 古史料 著名人(720)

歌に見る日本の美学 月について 『文芸春秋 デラックス』s49・5  「万葉から啄木まで 日本名歌の旅」  田中比佐夫氏著(作家)一部加筆 白州ふるさと文庫 百首のうち十一首。藤原定案の撰といわれる「小倉百人一首」におさめられた百首の歌の中で、月がうたいこまれている数である。その中では次のような歌がもっとも人に知られた歌であろう。 天の原ふりさけ見れば春日なる    三笠の山に出でし月かも             安倍仲麿  月見れば千々に物こそ悲しけれ     我が身一つの秋にはあらねど             大江千里 巡り逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな             紫 式部 秋風にかなびく雲の絶え間より    洩れ出づる月の影のさやけさ             左京大夫顕輔 まったく月をうたった歌は多い。百首の中で十一首でも多いと思うのだが、それが藤原悛成の「長秋詠藻』とか西行の『山家集』などになると、もうなんというか、秋といえば月、月、月の歌がならんでいる。いくらなんでも月のうたい過ぎではないかと思うぐらいだ。ところで、百人一首の月の歌のうち五首は『古今集』からとっているのだが、月の歌を『古今集』全体からくらべれば、じつはそれほど頻度は高くないのである。ということは、結局王朝時代から中世に時代が下るほどに月の歌は多くなり、月に寄せる心が歌人の心の大きな部分を占めるようになって、百人一首などもそれを基準にして撰んだと言えるであろう。そして前にあげた歌などをみて気がつくことは、そういう月をうたった歌の多くが、月をば、㈠ 自分の心を寄せるもの、㈡ 悲しき心や秋などにたがいに関連しあうもの、と考え、さらに、㈢ 月が天空にこうこうとひかり輝くなどという情景描写はあまりなく、多くは雲の絶え間からもれ出づる月の影、あるいは雲間の月を対象としていることなのである。 王朝時代から中世にかけて、歌人の心を占めていた月はそういうものだったのである。そしてこのようなものが、一般的にいわれる日本的な美意識を強力に形成していたこともまちがいあるまい。ところが中世人には選ばれなかったとはいえ、『万葉集』には次のような歌をみることができる。  熟(にき)田津(たつ)に船乗りせむと月待てば    潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな             額田 王 天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ             柿本人麿 月そのものを対象として、雄大な風景の中に月の位置を見定めながらうたいあげているのである。私はむしろこういう歌のほうが好きなのだが、この種の歌は後世になればなるほど少ないようである。さらにまた、 ひさかたの天ゆく月を網に剌し     わご大王(おおきみ)は蓋(きぬがさ)にせり  柿本人麿 というような歌もみられなくなる。日本人の美意識と一口に言っても、それはやはり歴史の流れの中で変化しているのである。とはいえ、『万葉集』の中に、後世のような意味で月をとらえた歌がないことはない。たとえば、  世の間は空しきものとあらむとぞ     この照る月は満ち闕けしける             作者未詳 という歌があるし、このような歌は、  あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠(かく)らく惜しも             柿本人麿 というような歌とともに、月が死者とも関係ふかいもの、と考えていたことを示している。ところで私は、この月と対照的な日日太陽をうたった歌が、『万葉集』をふくめて考えてもわが国には非常に少ないことに、大きな疑問を感じるのである。せいぜいあっても、 久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ             紀友則 的な月の姿よりも、その月影が問題なのであり、月の天空における位置も、どこの山にかかる月なのかということもおおむねはっきりしないのである。これは不思議なことである。『古事記』や『日本書紀』の神話には、たしかに、天(あま)昭(てらす)大御神(おおみかみ)(日の神)と、月読(つきよみ)命(のみこと)(月の神)とさらに建速須佐之男(たけはやすさのおのみこと)命(海原、あるいは嵐、あるいは根の国を治める神)の三大神が記されている。しかし記紀の神話で活躍するのは天照大御神と須佐之男命であって、月読命のほうは名前が出てくるだけで、まったく活躍しないのだ。このことと、中世歌人の美意識とはどのような関係にあるのだろうか。 この断絶ともみられる意識のちがいはいかなるものだろうか。どうもわからないけれども、神話というものも一種の創造作品とするならば、このことはもしかすると、日本の神話の一面を考える鍵になるかもしれない。 そういうこととともに、前述したように中世の歌になればなるほど、具体性と情感的な心の動きのみを追っていたからかもしれない。ただそれだけに、日本の和歌にうたわれる月の影は非常に情緒的であり、ただようような月の光は情感に満ちており、さらに言うならばその具体性がないだけに、いくらでも歌にうたうことができたとも言えるのではなかろうか。むしろそのように把握されている月にこそ、私たちは日本的美意識というものを感じるのである。ただようごとき月の光に満ち満ちた夜の世界、それがわが国中世の歌人たちの心であった。それは歌ばかりではなく、周辺芸術の諸分野にもみることができる。 日本の浄土教美術の作品にただよう光は、「日想観」などの観想があろうとも、その光の種類はどうも月のそれに私には思えてならないのである。たとえそれが絵具の補色や変色に深く関係していようとも。私は考えれば考えるほど、それを肯定するかしないかは別として、いまの日本人の美意識が形成される途上において、たしかに「月の影」が深く関連していたと思わざるをえないのである。 

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