山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2020/11/04(水)20:38

アイヌの神話

歴史 文化 古史料 著名人(720)

アイヌの神話   『国文学』解釈と観賞  寺社縁起の世界 自社縁起60篇  至文堂 1982・3   一部加筆 山梨歴史文学館 静内郡静内町東別に住まうK家には、現在十四神が祀られている。神々が祀られている場所は、K家の旧里より六メートル程東よりの所にあり、幣棚と邦訳されているものである。幣棚の数は地方によっても異なるが、K家では大小の幣棚があり、幣棚に向って左側の幣棚を「低い幣棚」、右側を「高い幣棚」という。それぞれの幣棚は叉木を二本地中に打ち込み、それに横棒をわたし、作られた木幣は一部を地中にさして横棒に立てかける。「低い幣棚」には三神(①幣棚を統率する神、②大地を統率する神、③ヘビの神)がまつられ、「高い幣棚」には十一神(①太陽の神、②サマッキ山のヒグマ神、⑧恵山師で船の安全航海を見守るキタキツネの神、④静内川上流の渕で河川の往来を見守る河童の神、⑤ルペック台地一帯の安全を見守るキタキツネの神、⑥静内川上流の山手から集落を見守るシマフクロウの神、⑦ペシトゥカリ台地から沿岸の航海を見守るキタキツネの神、⑧沿岸漁とそこに生棲する魚貝類を統率するシャチの弟神、⑨仲合漁とモこに生棲する魚類、海獣類を統率するシャチの兄神、⑩K家の祖先神、⑪水の神)がまつられている。 「低い幣棚」と「高い幣棚」の名称の違いは、神々に捧げられる木幣全体の寸法の長短に由来している。一段と高い神は位もそれなりに高く、そう祀らなければならない理由によるので、「高い幣棚」にまつられる神々はK家にとって深い因縁で結ばれているはずである。 神々をまつる行為はすべて、その家系に属する男子によって代々とり行なわれるので、K家とK家の「高い幣棚」にまつられる神々との由縁に関する話も、その家系に属する男子に限って極秘に語り伝えてきたものである。K家の当主であるT翁(明治四十三年生)には御子息がお一人おられ、こうした口伝をそれなりに伝えられていることであろうが、流動的な社会の中で、御両親を助け、自らの生活をも築かなければならないために、日夜多忙に追われている。いずれ御子息が祖先からの伝統ある神々をまつる儀礼を取り行なうにあたって、神々に対して齟齬がないように、家系の男子に属さない私にも記憶していてほしいということで打ち明けてくれた。読者にすればさほど重要な事柄ではないと思われるが、敬承な事として大切に保持されてきたものであるから御当主にとっても教えを受けた私にとっても、どう表現のしようもない実に堪えがたい感情の中でその一部分を公開するわけである。御当主も祖先の歴史を明らかにすることで、今ある自分の価値を改めて思い出し、祖先への敬愛の念をより深めたい。また、そうすることによって正しいアイヌ文化の一面を理解してもらえるとすれば、これまでしいたげられた多くの同族に対し、わずかばかりの慰めにもなろうといって了承されたものであり、私もそうなることをひたすら切望してやまない。 ここに紹介する話は「高い幣棚」の五番目にまつられるキタキツネの神とK家との由来である。K家の祖先の、とある男子が、とある年の早春、そろそろ山の神々である多くの動物神が再び活発な活動を始める以前に、人里から、神々の里を訪れ、動物神では最強のヒグマ神を自分の宗の重要な客人として迎えたいし、その仔グマの飼育を親グマから委託される名誉ある役を引き受けたいものと深山へと出かけて行った。自分たちの集落の裏手に連なる丘陵をあがり、深山への径を急ぐと、行く手に深い谷があって向う側へは渡ることができなかった。渡り口か近道をと捜していると、太く大きなトドマツの樹が根むくれとたってこちら側へと倒れていた。神の導きと思い感謝をして向う側へと渡り、山々をめぐってヒグマ神の宗 (ヒグマが越冬する巣穴)を訪れてはみたものの、廃屋であり、すでに外出後であって幾目も目を重ねたがついに出逢うこともなかった。心の中で「これまで多くの神々の加護や協力があって、いつでも神々と出逢える方向へと差し向けられ、多くの動物神を大切な客人として迎えてきたが、今回のような事は一度としてなかったものを。何か良くない事が起きる兆しかも知れない」と思って、大地や水、樹木や動物を統率する神々にこれまで何事もなく、自分の身の上を守り続けてくれたことを深謝し、無事に家に着くことができるように祈願もし、重厚な拝礼をあとに家路へと向った。来るときも、里へ下がる今も不気味な静寂に包まれているものだから、やはり何か不吉な事柄の前兆かと気を充分に配って下り、例のトドマツの橋の所へとやってきた。あの橋さえ渡れば、里へはひと下りと安心して渡りかけようとする所へ、一匹白毛のキタキツネの神が飛びだし、行く手をはばかように小躍りしはじめた。右へよけるとキタキツネの神も右へより、左手によけると左手へくる。当初はあまりの不思議さにとまどったが、ひょっとするとこの野郎が、自分をたぶらかし、ついには命を取ろうとしているに違いない。そんな悪がしこい軽薄な神であるならば射留めて最悪の霊送りをしてやろうと、弓に矢をつがえてねらいを定めようとした。するとキタキツネの神はあえて的になるようにじっとするので、ここで矢を放そうと思う前にポソと飛んでは、また動こうともしない。しかし矢を放そうと思う前に動き、どうにも的をしぼり切れないでいた。そこで矢先に焦点をおいてキタキツネの神の動きを追っているうちに、トドマツの根むくれの部分に目が行った。その暗闇のようなかげりの中で異様にするどくすんだ光るもの二つを見つけた。そこには性悪なヒグマが、山に入る以前から命を取ろうとして、自分を山へまねき寄せ、深い谷にトドマツの樹を倒して橋をつくり、ヒグマの領域につれ込んで、以米命をねらったが、なみいる善良な神々に見守られてついに成功しなかったので、最後の機会をトドマツの根元で待っていたのであった。神々は白毛のキタキツネを召使ってその企を先程から知らせていたのである。それにようよう気づきまわり道をして無事に宗に着くことができ、善良な神々に感謝し、白毛のキタキツネ神に自分の非をくいて、ついに位の高い神としてまつることになったのである。この神がもしいなければ、現在私はこの世にいないはずであると御当主は語った。【ふじむら・ひさかず 北海道開拓記念館研究職員】  

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