2020/11/11(水)06:55
横暴無礼な蘇我入鹿、大極殿に暗殺さる
横暴無礼な蘇我入鹿、大極殿に暗殺さる 蘇我入鹿は歴代の功臣武内柘榴の末孫。位人身を極めたのに乗じ、朝廷をないがしろにする横暴の振舞が募り、聖徳太子の御子を急襲して自害させたほか、自分を宮門、その子を王子と呼ばせたなど、臣下にあるまじき無礼を慟いたが、勢に恐れて誰一人これに敵対する者がなかった。藤原鎌足は彼を憎んで秘かに期するところあり、法典寺の庭の段物に托して聡明の誉れ高い中大兄王子(後の天智天皇)に近づき、大鹿暗殺のことを進言した。 もとより王子も大賛成、二人はその機をねらった。機はついに来た。皇極天皇の四年、三韓は使者を送り、大極殿で貢物を奉る儀式が行なわれた。中大兄王子や入鹿はもとよりこれに列席した。鎌足は大極殿の柱の蔭にかくれて弓に矢をつがえ、佐拍子麿は剣の柄を握って待った。式が終って大鹿がさがって来た。躍り出た鎌足は矢を放ち、子麿は剣を振ってこれを刺し殺した。事変を聞いて驚いた大鹿の子蝦夷は自害したので、世に平和は帰り、大化の改新の曙光が見えはじめた。