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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年11月17日
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カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室








冬の甲斐駒ケ岳行とそれに関連した事柄

 

  西丸震哉氏著

 

『日本の名山 16 甲斐駒ケ岳』

   串田孫一氏 今井通子氏 今福竜太氏著

   博品社 19971115 

 

   一部加筆 山梨歴史文学館

 

フランス製の高度計

 

たしか、その甲斐駒行は戦争が終って三年目くらいの冬だったと思う。私の月給が二千円足らずのときに、タカハシのおやじが手作りしてくれた山靴が、四千何百円かだった。

二カ月間断食しても払い終らないほどの高価な買物、まだ食べることに追われて山登りがほとんどの人の頭にうかんで来ない頃だ。今でも山靴は高価なものと考えられがちだけれど、大学卒の初任給だって、まだ半分以上は残るわけだから、その頃の靴だか皮革だかはずいぶんとバカ高いものだったのか、靴がその後あまり値上りしなかったのか、見方によっては暮し易くなったのかも知れない。

 そういえばあの山靴代の一部は山友達に出してもらって、未だに返していない。しょっちゅう会う顔

だが、返せともいわれないし、こちらから返すともいわずに十何年も経ってしまった。だいぶ永い間、

精神的な負債を背負いこんだものだ。今さら返そうかともいえないから、死ぬまでだまっていることに

しよう。どうやらこの貸し借りは、勝手ないい方だがこちらの大損みたいな気がする。

 

長坂の駅から一人で山に向ってトボトボと歩いていると、甲背駒をまん中にした雪と岩との連なりが橙桧色の朝焼けに輝やき、いつとなしに昼間の山になってゆく。

私は生まれてはじめて高度計というものを持ってきた。ちょっとした知人が蓼科由か何処かで拾ったものを借りてきたのだが、うまいものを見つけたもの、直径が四センチくらいの超小型アネロイド式で、高さの目盛りは五千メートルまでだった。

だいたい山で物を拾うまでには、普通は相当の年期がかかるもので、私は二十才くらいまでは何かしら山の上に忘れ物か落し物をした。高度計みたいな高価なものはもちろん絶対に忘れるようなことはないが、ほんのちょっとしたもの、たとえば皮のバンド。(もちろんズボンのではない。もしそうだったら途中で足が勤かなくなったり、尻のあたりが涼しくなったりするからすぐに気が付く。)

だが、考えてみると、そんなに沢山の経験はないみたいだ。なくした物というのは、それ自体を金額にしてみたら大したことはないのだが、いつまで経っても心残りなもので、皮のバンドだって昭和十一年の夏のことだから、もう二十五年以上も前のことだ。それは八ケ岳の硫黄岳頂上付近だったこともチヤンとおぼえている。どこかの山へ登った年さえ忘れがちなのに、何と執念深いことだろう。

本格的に山を歩きはじめてから十年くらいになった頃から、今度は落し物を拾う側に廻った。しかしこれもビックリするほどのものにはついぞ出会ったことなく、回数も十回とはいえないだろう。同じ硫黄岳の頂上で航空隊用の短剣を拾ったとき、皮バンドのうらみは晴れた気がしたのがおそらく最大の収穫だ。

だからたまにチョロリと山へ入って高度計を拾うような人は、一体どんな星の下に生れたのかと心の底で少し嫉妬したくなる。

この高度計はフランス製で、小さいくせにかなり精度の高いものだった。ほとんど十分おきくらいにとり出してグラフに書き込んで行くと、直線が斜めにずんずん延びるから、休みたくても段がつくのが気になって休めない。そして着実に高さをかせいでいるのが目に見えるので欲が出て、この日本の中でも有数の登高差のある登鎔炉楽しみに変り、苦しさがすっかりまぎれてしまった。

もう十年も昔になるが、自分の高度計がほしくて、国産のものが出たのを四千円で買い、すごい財産が出来たような気になっていたが、利根水源で滝壷へ落ちたときから狂いを生じ、何年かしまい込んで置いた。決心して修理に出したらすっかり正常になったので、これをボロ車にとり付け、アメリカの最高級車だってこんな計器は付いちやいまいと、飛行機を持った気分になろうとしている。

兄(島崎敏樹)がこれを見て子供みたいに欲しがり、早速買ってきてアパートの階段を上ったら何ミリバール動いたとか、天気が毎日続きそうだとかいって毎日持って歩いている。そのうちに東京タワーの上の段まで上るんだとかいって張り切っているが、高度計は大人のいいオモチャだ。人間というものは、ほんとうはいくつになっても子供のように遊んでいたいものらしい。「いいとしをしてねえ」なんていわれるのがいやさに、仏頂面でえらそうな態度をとっていなければならないのは悲しいことだ。私は風呂の中で石鹸箱なんかを相手に、洗うのも出るのも忘れてしまうことがしょっちゅうだ。そしてこんなことが人に気兼ねしないでやれることを、ほんとうに幸福だと思っている。

 

 五丈小屋

 

午後から天候はずんずん悪化して、夕方から風雪になってしまった。五丈小屋のガランとした中の囲炉裏端で、火も起さずにゴロリとしている。板敷のだだっ広い四角な暗い空間だけ、何の道具もないし、区切りもないという殺風景なところで一晩中寝るでもなく起きるでもなく、ポツンと一人でいるのは味気ないといえばこれ以上つまらないこともなさそうだが、別に何にも感じない。一人きりだと歌も唄いたくならない、ましてボソボソ一人ごとなんかいったら狂人になった気になるだろうから、軒あたりでわめきちらしている風の声を黙って聞いているだけだ。烈風の音が物凄いと外に出る気は起らなくなるが、こんなとき、出てみればそれほどたいしたこともないものだ。風そのものには音なんかない筈で、小屋があったり木が生えていたりするからいろんな音がしておびやかされる。吹き曝しの尾根にでも出ていれば気にならないのだが、小屋の中のほうが楽だからついグウタラして嵐と人為物と連れがいないと生来なまけものだから満足なもの など決して食べないもので、食べたくないわけではないのだが手間をかけるくらいならという根性で、湯もわかさずに手に触れたものから順に目に入れる。

はたで誰か見ていたら、よくもまあ生き甲斐のない生活をするもんだと思うだろう。モソモソ口を動かしながら、アメーバからまだそんなに大して進化しちやいないなと感じる。上から圧力がかかると必然的に余分なものを出さなければならなくなるが、これがまた厄介な仕事で、いつもこれには苦労する。

雪の中でツェルトにもぐっているときは、大がいの場合液体のほうはコッヘルを使う。手だけ出して雪の上にザッとあけて雪をすくって二三回振ってボンと捨て、別なところから雪を汲んだものを今度は飲料にする。

量的には前の液はまったく気にならない程度にうすめられているから、自分のものでさえあれば別に汚いとは感じない。固体またはそれに近いものはやはり困りものだ。カレ-ライスなんかは間違えそうでうっかり食べられなくなる。

有史以来、どんな寒いときでも尻から風邪をひいた奴はいないそうだから、やはりいやでも外へ出て用事をすませるしか方法はないようだ。

五丈小屋は音響効果が良くて、外はいかにも寒そうな音がするから、どうもわざわざ出る気にならない。小屋のすみの上間に穴を掘って、けっきょく楽にすませてしまった。

その翌日、小屋主のガイド・アラフシというのがたまたま上って来たが、そのとき彼は「近ごろ小屋の中でウンコをする奴が多くて困る」とこぼしていた。私の分は地面の中だから見えずにすんでよかったが、何となく尻をのぞかれたような気分になった。

 

 シャリバテ

 

朝早く、おもてをのぞいて見ると、雪はたいして降ってはいなかったが、風はなかなかすごそうで、かなりひどいガスが巻いていた。

オーバーシューズを着け、フカンを使わずに直接シュタイク・アイゼンを着用することにし、午前中に帰って来るつもりで、背中には何も持たずに、ピッケルとカメラだけという軽装、身ごしらえはヒマラヤでも平気なくらいに整えて小屋を出た。

しばらくして急登するあたりから、ゆうべの間に新雪が五十センチばかり余計にたまったので、一番体力を消費する急坂のラッセルの連続となり、吹きさらしの岩尾根に出る前に六時間の重労働をさせられる結果になった。

燃料が尽きてエンジンはスカスカとなり、足も上らなくなって、もともと空腹には強いという信頼を置いた身体も、予定外の酷使にはさすがに耐え切れなくなった。

もうしばらくすれば烈風で雪も吹き飛ばされてしまっている筈だから、楽になることはわかりきっているのだが、ヘナヘナと坐り込んだままどうにも動けない。

そこへ下から高校生くらいのがやって来て、ラッセル有難うございますというわけだが、先に行ってくれといっても行こうとしない。まだラッセルしてもらわなきや登れないのかと思ったら、自信がないからつれて登ってくれないかという。じやあ人に出会わなかったらどうするんだろうと思ったが、私は「連れてってやる気はあるが、食物を持って来なかった為にシャリバテで動けなくなっちまったんだ。ガイド料に何か喰わせないかがり、オレはもう帰る。」

彼等は荷物の中からクリームをはさんだビスケットを取り出して、これでお願い出来ますか。私はさすがに食物を恵んでもらう身分に成り果てた、サモシイ自分が悲しくて、手を出しかねた。どうか食べて下さい、そして頂上を踏ませて、と頼まれて、これはただの交換にすぎないことで、お互いに不足な分を出し合うだけだから恥ずべきことじやなかろうと、自分を納得させることが出来た。ビスケットと雪とでまた体内に元気がムラムラと湧き出てくる。そんなに早く消化するわけでもないのに、なぜ食べるとすぐに元気が出るのか不思議だ。彼等はこれでどうやら頂上へ行ってもらえると大喜びしている。

たしかにこの出会いは、お互いに非常に好都合であったようだ。

尾根にとり付いてからは完全なアイゼンの領域だったから、スタスタと歩いて頂上らしいところに着いた。このときが甲斐駒の頂上へ来た最初だったので、果してほんとうの頂上かどうか知らないのだが、感じはたしかに頂上だ。まわりはどちらもグッと低くなっているし、人の背丈以上の石のお堂もあり、高度計は小屋で補正をした値に狂いがなければ、正確に二九六五あたりを示している。

ガスが吹きつけて何も見えない灰色の空間にたたずんで、人によくいわれる言葉を想い起した。

「山登りはいいでしょうなあ。苦労したあげく、頂上から四方を見わたして、爽快な気分になる、やめられない気持はわかりますよ。」

山登りがやめられないのはそんなことではないようだ。現に五分とたたず

んでいられないような寒気、頂上かどうかもわからないような無展望、かつてウェストンがいったシャ

"1 viewed the mist but missed the view"……一人歩きだと、人に良さを確認することも出来ず、

ただボソッと立っているだけで笑いもしない。天気が悪くても損したとは決して思わず、別にもうけたとも感じない。マロリーさんは「山があるからだ」なんて苦し紛れにいったようだが、山がそこに無かったら行かないといえば、決してそのままでは済まないだろう。何かをさがしてやはりゴソゴソと歩きまわるに違いない。

帰りは一時間余りですっとんで帰れた。つれの二人は泊り場を少し下の別の小屋にしているらしく、別れをつげて小屋に入ると、主人のガイド・アラワシが来ていたというわけになる。

 

 白骨死体のなぞ

 

アラワシさんはこの一帯をくまなく歩いているので、私は以前からききたいと思っていたことを話してみた。

「私は前に、甲斐駒の頂上から南方の谷底で白骨死体を見たことがあるんだが、あんたが知らないものかどうか。」

「それはどんな様子でしたか。」

「かなり古いものらしくて、骨の間から草も生えていたし、木にひっかかった骨もあった。」

「実は私もそれなら見たことがある。」

 

「ところでね、昭和九年のだったと思うんだが、登山とスキ-という山の雑誌の南アルプス特集号みたいなので以前にちょっと読んだ記憶があるんだけど、昭和二年頃に頂上直下の九合目あたりの尾根に焚火のあとを残しただけで行方不明になった若者があったんだそうだ。地元でも何回となく捜索したが遂にわからなかったそうだが、その父親がどうしてもあきらめ切れず、その後も一人で山へ入って行くので村人は涙なしには見られなかった……という話なんだけどね。もう二十年も前の事件だが、私はどうも場所からいってもその息子の死体じゃないかと思うんだ。戦争のドサクサがあったりした今じゃその父親を捜すのは大変なことかも知れないが、地元にはまだ何かの記録も残ってるだろうから、知らせてやれたら、もし父親が生きていればだけれど、きっと喜ぶと思うんだがなあ。」

「あなたは若いのに、よくそんな事件を知ってるねえ。私はよく覚えてる。父親という人の何かにとりつかれたような顔も覚えてますよ。お願いなんだが、この件はそっとしておいたほうが良いんじゃないか。とにかく古い事件だから、今さらさわいでどうなる事でもなし。あの死体は、私もたしかにその息子だと思います。けれども、父親だってどうなったかわからないような現在、やはりこのままにしておきましょうよ。」

 

私にはどうもスッキリしない話に思えてならない。成仏するかしないは別として、たとえ今後人目に付くことはなくとも、ウッチャラカシ(放って置く)というのはどうも気になっていけない。

「知らないことにして置きましょうよ。お互いに。」といったアラワシさんの真意が今もってよくわからない。万一、単なる山の遭難でなかったとしても十五年以上経過してるんだから明るみに出してもよかろうに。誰かが迷惑するような追求もなかろうし、また出来るものじゃない。どうもモヤモヤしていて気分がわるいが、あの白骨はそのままころがっているのだろう。三十五年前からの白骨、今では私もそうしておいてもいいなと思うようになった。






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最終更新日  2021年04月10日 17時37分53秒
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