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俳人 宝井其角の十二月十四日 (忠臣蔵)新聞記事
蕉門十哲・の一人、俳人宝井其角が、討ち入り当日の模様を書きつづった書簡の貴重な写し書きを、広島市南区段原中町、印刷業の佐伯隆盛さんが保存している。 書簡の内容は、討ち入りの日の夜に江戸本所の吉良上野介の隣家の大名家に泊まった其角が討ち入り直後に訪ねてきた堀部弥兵衛と大高源五から聞き取った話。 堀部と大高が「主君の上遺恨をはらすため、四十七士はいま吉良氏を討ち取った」と語り、「吉良の隣家なので、吉良に加勢するのが本意であろうが、ご免願がいたい。火の元に用心を」と近所に気配りした内容をともなっている。 書簡は、其角が堺の俳人・文麟に差し出し、日付は討ち入り一週間後の十二月二十日となっている。写し書きしたのは、大石内蔵助の孫にあたる横田又兵衛良遂。良遂は明和四年(一七六七)、広島藩士に十八歳の時、養子入りし、横田姓を名乗った。 佐伯さんは、広島県山県郡大朝町の出身。昭和の初めに広島市へ転居した。縦十九cm、長さ二・5mの由緒ありげなこの書簡を自宅八畳の間に掲げていたが、比治山の背後の地だったため、被爆による消失を免れた。 昭和六十年には、広島古文書研究会の義濃正一一郎会長に鑑定してもらったところ「討ち入りした祖父のあかしに、と正虎が写し書きした責重なもの」と、お墨付きをもらった。 佐伯さんは「改めて歴史の重みを感じます。漢学者だった祖父の代から受け継ぎ保存じてきたと聞いており、家宝として大切にしたい」と語っている。 昭和60年12月13日付「中国新聞」より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月23日 07時12分31秒
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