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2020年11月27日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

中山道・甲州街道の改修

 

徳川家康は慶長五年(1600)関ケ原の戦ののち、東海・東山・奥州・日光・甲州の五街道の制度を定めた。東山道すなわち中山道が伝馬制をしかれたのは慶長七年である。

中山道に続いて甲州街道も改修された。目本橋から内藤新宿へ、府中・八王子を通って小仏峠を越え、与瀬・上野原・猿橋・黒奴田を経て笹子峠にかかり、鶴瀬・勝沼から甲府に至るまでを表街道といい、甲府から下諏訪中山道に合する間を裏街道といって、これも表街道に続いて改修された。

 

甲州街道には、表街道に三十八駅、裏街道に六駅、合せて四十四駅が設けられており、諏訪における宿駅は、蔦木・金沢・上諏訪に設けられ、本陣・問屋などを置いて、大名の参勤交代や旅人の便を図った。

 

正徳六年の御触書に甲州街道については次のように記されている。

 

(前略)

海道と申すことは、

東海道・南海道・西海道いずれも海国の道筋を申し候。

海なき国と申し伝へ候は、下野の国・甲斐の国

この道に海道と申す事のあるべきことにもなく候へば、

日光道中・甲州道中、右の通りにて然るべく候。

 

とあるから、甲州道中と唱えるのが正しかったことがわかる。

これらの街道の管理は、地元の名主の重大な任務の一つであり、名主・村役人の責任において、道路の清掃・雪ふみ・橋の修理など行なわれ、そのつど近隣の良民にその負担がかけられていた。






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最終更新日  2020年11月27日 02時59分01秒
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