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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年11月27日
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カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室

 日本南アルプス 野呂川の奥(2) 

 

一〇、農鳥岳

 

この處から登りとなり、農島岳北側の薄黒い仭崖を左にして、その西峰に取付く、短少な偃松、黄花石楠、コケモモ、ミネズフウ、ガンコウラン、ウラシマツゝジ、コイワカガミ、チョウノスケサウ、イワベンケイ,イワツメグサ、ミヤママツムシソウ、タカネ昂ナデシコ、ハクサンイチゲ、ハクサンチドリ、チシマギキャウ、ミヤマキンバイなどの花吹く斜面が東俣の溪谷へ落ち込んでいる。

 崩れ散る岩角を渡って、農島岳の山頂(三〇二六m)へ着く。午後三時、二等三角標石のあたり偃松を散らして、西側は小石原の圓蓋となっている。

 

こゝで朝香官殿下の御登臨を御待申し上げた。眸を挙げれば、東南の空に高く高く、気品佳き富士の姿が顕れた。白峰の山稜は廣河内、天龍、白河内、黒河内と廣第な山背を長く南に延ばしている。なお遠く、黒木立の蜩起する峰領は笟ケ岳連嶺である。塩見岳、東岳の翠(みね)も親しげな山容を観せていた。

 私が山頂へ立って四顧を欲しいまゝにしていた時である。犬が頻りに吠えながら偃松を潜って登ってきた。一匹の小兎を追ってきたのである。山頂の小廣の石原に興あるマラソンレースが如まった。声援の力と相待って彼は遂に兎を征服する。私は思はす凱歌を挙げた。

 此の時山稜の先端へ出て下を・眺めつつあった人夫が、突然「お出でになった!」と知らせたのである。

 午後三時半、殿下の御一行は登って来た。真っ先は山稜を伝えて日本山岳曾の木暮氏。山稜のやゝ下を、下湯島の案内省中村宗平を先きに立てゝ、美麗な毛皮を腰に纏った殿下、藤岡御附武官、槇氏、浅野宮内屬、其他随行の人々凡そ十五名。人夫約三十名が従っていた。

 「槇さん」私は山稜から呼んだ。「やあよく来ましたね」見上げる。「どちらから来ましたに殿下は親しく丁重なお言葉をかけられた。恐縮しながらお迎えに参りました」と申し上けると。「どうも有難う」と仰せられ、「降りて此處へいらっしゃい」と槇氏が招く。私は御一行へ加わる。殿下への御挨拶や其他の人々との歓談で賑わう。殿下は特に種々御下問くださる。農鳥山頂で小憩。つい先刻のリレーをお話し、被征服者を御一行今宵の食膳にのせる事を提議したところ大喝采を博す。かくて一同は愉快な縦走に移った。

 北面の崖壁を兄降して「欧州アルプスはこうした崖も登るのかね」などと殿下がお尋ねになる。槇氏の唇から、アイガア、マタアホルン、エイギユイヱデドリウなどといふ奇峭峻峰の断片談がもれる。時々楽しい笑い声が起る。右に早川の深谿、左に大井川の峡谿の濃藍に圍繞せられた天ノ河原……それが犬巌石で築き上げられた大殿堂の農島岳から辿る白峰山稜の感じであった。廣豁たる山背、足元に震るえる草花は星のように群がっている。

黒光りする農鳥の断崖に岩燕は天女のような軽妙の舞いを見せて呉れる。

 午後五時。間ノ岳への大鞍部露営地に到着。殿下は聊かも御疲労の御面持ちなく、其の一角に立たせられ人夫達の活動する様子や、左眄右顧、四邊の山容を飽かず眺めながら、種々御言葉を賜わった。

 やがて私は此處を辞去して自分の野営地へ戻る。人夫は器用に野営場を拵らえて、偃松の薪も潭山積んだ。夕餉も出来た。山へ来た時のみ知る、温い味噌汁のおいしいタ食を済ます。

 酉の空の美しかった夕映えが何時か消えて闇が彷徨。私は小田原提灯を吊るして、御宿泊地を往復する。稀有な大部隊の屯営をみても、巨大な山岳は何程の事もないように寂として静まり返っている。寒さがきびしい。空はよく晴れ渡って星が一杯にきらめく。東方遥かの果てに無叡に甲府の燈火が見える。

 

 十一 間ノ岳

 

 二十三日。晴。昨夜は寒かった。終夜火を焚いたが火力が衰えると眼が醒めてしまう。薪を加え、そして眠る。亦醒める。こうして一夜は過ぎた。高さは二八〇〇m、残雪の傍らへ寝るのだから寒いのも無理はない。

 午後四時半起床。朝食を済ませて人夫を先に立たせ、御一行へ加える。

 今や下界はすっかり雲に包まれている。太陽は東天を二三尺昇った。秩父や岳麓の連嶺が遠景にぼかされ、富士が一際あでやかに仰がれる。晴れた清々しい冷たい夏の朝だ。

 軍鳩班の伊藤大尉は此處から中野へ向って二羽の伝書鳩を放した。飛翔した鳩は一二回旋回したまゝ早川の大峡谷を横断し、遙かに甲府平原を差して姿を消して行った。

 七時半、御一行は膨大な間ノ岳に歩行を進める。中腹の残雪の傍らに休息。難を逃れた二羽の雷鳥を見る。南方に残雪をちりばめた、塩見、荒川、東、赤石の諸嶺がはっきり望見される。かくて八時半、間ノ岳山嶺へ着く。この處でも一羽の軍用鳩を放った。そして隨行員の一部と人夫は、直ちに両俣の宿営地に降り、他は殿下に従って北岳を指した。

 

 一二、北岳

 

間ノ岳の山稜が北へ長く延びている。其の先端に鞍部を越えて高く鋭く聳立しているのが甲斐ケ根を代表する北岳である。我國内地に於ける第二位の高山、即ち壹萬五百三十三尺の奇嶺は、富士の如く人を惹きつけるような壮麗の容姿に対して、是は久ゝに畏怖せしめねばおかぬ、どこまでも豪快な山岳美を発揮している。

 岩滝の凹凸を越えてゆくので骨が折れる。チョウノスケサウ、イワツメグサ、チシマギキョウ、ミヤマキンバイ、クモマキンボーグ、キバナシヤクナグ、ヨツバンホガマなどの可憐な草花が播き散らしてある。

十時半、偃松の少しまつはる碩のような鞍部で、巨大な山靈を仰ぎ乍ら昼食し、岩骨厳めしい北岳に攀じ登る。硬砂岩に纏わり附いて、イワヒゲが珍妙な莖と鐘状花の対照を看せていて、シナノキンバイ、イハギキョウ、タカネウスユキソウ、シロウマナズナ、クモマナズナ、ウメバチサウ、イワワウギ、アヲノガリヤス、チンダルマ、タカネシオガマ、コケモモ、ウラシマツツジ、オヤマノエンドウ、シコタンソウ、ヒメクワガタ、ミヤマオダマキ、タカネソモソモ、クモマノガリヤス、タカネヒカゲノカズラなどが山姫の衣裳の模様を織りなしている。殊にチョウノスケソウの草に似あわぬ大きな花が大群落をなして眼に付いた。

 正午、北岳山頂へ出た。小さな石祠が在る。眺望がよく、白く崩れた,鳳凰山、駒ヶ岳,温乎な仙丈岳の山容がみな眼に入る。三一九二mの三等三角点ヘー同は立って、殿下の御発声により陛下の万歳を三唱し藤岡氏の音頭で脂殿下の万歳を寿き、一同の万歳を唱え、白峰三山登載の喜びに賑わった。カメラ党は頻りにパチリッ・パチリッとやる。殿下も亦御熱心なお一人である。殿下に皆がレンズを向けると殿下も亦吾々一同をお撮り下さる。貴賤隔てなき和気藹々たる空気が、此の萬余尺の山上に遥曳する。それは実に泪ぐましい或る尊さのシ-ンであった。

 

 休息三十分、両俣の露営地へ急ぐ御一行は立ちに問ノ岳へ引返す。

 私の奉迎登山の目的は予定通り達せられた。私は御壮挙の恙なく終わって殿下の御無事御帰還を折り、槇氏とは廿六日甲府に於ける再会を約し、其の他の人々と訣別の挨拶を交した。

 何処までも平民的に渡らせられる殿下は「色々有難う」と御丁重な御言葉を賜う。私は殿下の御健脚な事、聡明さが著わす沈重な御態度、御叮嚀な御言葉、極めて平民的な御動作………などを識ると共に、敬虔の念は此の白峰三山と結びつけてその胸奥に深く感銘されずにはいられなかった。

 殿下が愛する南の山に貴い足跡を御残しになったと云う事は………地方官民の山岳に対する一考慮を促し、登山熱の刺戟。道路登山小舎の開設、南の山の紹介、そしてそれは地方人の為、否国民教育の上にまで及ぼす可き重要な意義…………そんなな思いが胸に往来して暫らく私はぼんやりと此の豪快な白嶺の全嶺を顧みるのであった。

 

 一三、大椹池 おおさわらいけ

 

 鯛頂から、北へ出仁山稜を降る。右手は絶壁となって、遙かに低く大椹池の小さな青藍を望む。岩角を伝わって三十分、その背稜は実に稀に見る高山積物園であるが、小太郎山(二七二五m)のずっと手前で偃松を分けて右手に急傾斜面を一気に椹池まで降る。

見事な草のスロープ、コマノツメグサ、ミヤマンホガマ、オヤマノエンドウ、シコタンソウ、シコタンハコベ、イワワウギ、オノヘスゲ、イチゴツナギ、キバナシャクナデ、アオノガリヤス、コケモゝ、ウラシマツゝジ、チシマアマナ、タカネキスミレ、キンロバイ、ハゝコヨモギ、ウラジロキンバイ、イワスゲ、ヒメスギ、ツガザクラ、ガンコウラン、コケモゝなどから、草滑りとなって、シナノキンバイ、クルマユリ、ウサギギク、ョツバシホガマ、オヤマノエンドウ、ミヤマオダマキ、クロユリなど百花繚乱、足の踏み場もない。

 北岳と仙丈岳の特産、センジョウチドリを始め、ヤマコウリンクワ、タカネマンテマ、スルガヘウタンポク、タモモノガリヤス、大形ハハコヨモギ、ユリ科のタケネアラヤギソウ、ノキシノブ科のナヨシダ、ヤツガタケシノブ、トガクシデンタ、稲科のタカネソモソモ、ミネノガリヤス、ミヤマイチゴツナギ、スゲ科のシロウマスゲ、タカネイツゴツナギ、タカネナルコスグ、クロボスゲ、オノヘスグその他稀品、雑種の豊富な点では、仙丈岳や荒川岳・東岳と共に日本アルプスを通じての誇りであると云われている。偃松に縁取られた三十度に近い急斜の草花の中を草の香に(むせ)、クモマツキテウ、ミヤマシロテウ、キアゲハ、ミヤマオジネンなどを追いながら、大椹池へ滑り降りたのは、午後三時。雪崩に曲げられたサウシカンバの林と,針葉樹林の接触点で、池は径約十間、雪融けの水が溜り、残雪を引いた山の姿を写している。

登山の道者が、池に投げた白米の浮沈に依ってその人の性の善悪を占う……と甲斐国志にある椹池は即ち是である。そう云えば同誌に見えた様に、北岳の山頂には……日ノ紳の黄金像を祀る銅室高さ二尺二寸、四隅に鈴を掛ける、風吹けば声あり……、などの奇蹟はなくただ石の小祠があっただけだ。

 緑濃き草原につづき今岳樺と白檀・米栂の囲む、神秘的な大椹池は賞に良い野営地であった。それは熊谷カモシカや小鳥の遊ぶ世界で御伽の国の宿とも云えよう。此處から北岳の絹絶頂と、東山稜、留澤頭(二七九七)が雄大に眺められる。

 御池を後に、針葉樹林に入り小さな流れか横切って息もつがずに帰りを急いだ。白檜、唐檜から米栂、ヒメコマツ、ハリモミ、ついでミネカヘデ、ブナ、ミヅナラ、ベニドウダン、サラサドウダンなどの濶葉樹が多く繁る様になって、ついに大椹池岸へ着き、澤について午後五時、野呂川合流点河原に出た。今はその北西側に、三間に二間四尺の丸太作りの立派な登山小舎が在るが、常時に広河原をなお三十分も遡り、白鳳峠の登り口に在った杣小屋、今は壊れて無いが……に宿泊せなければならなかった。

 

一四、廣河原峠

 

二十四日。晴。川楊茂る碩(川原)の夜は明けて、今日も亦快晴を告げる日光がもう黒木立に包む高い山の斜面を照らして、峡澗の広い碩を明るくしている。駒鳥が金鈴の扉を振る。慈悲心鳥が啼く。流れの水苔もゆるやかに響く。

 午前四時半起床、六時出登。朝夜峰から鳳凰山に続く山稜の最低鞍部廣河原峠を越える。碩を約十町を遡登りにかゝる。峠と云っても道があるわけでない。僅かに人の踏んだ跡が明滅している。九時半、山稜着。顧みれば、北岳と仙丈岳が据に野呂川の峡潤を巡らして焼き付く様に眼を奪う。白檜の木の香が鼻をかすめた。

 赤薙澤に降る。袋澤の合流点で昼食にした。そして左岸に沿って行くのだが、八町横手と云う所は、岸は断崖となって水は物凄く渦巻いて、舟石と呼ぶ花崗岩塊の先端では恐ろしさに久しく停立して居られなかった。かくて午後二時、大武川との合流点、赤薙瀑着。それより本流に従って右岸に或は左岸に、道なき断崖を攀じ、或は全く足懸りも無さそうな大岩石にしがみ付き、或は絶壁を横に滑って行く。眼下は大武川の奔流が石に激し深澤に渦巻き、又は荒海となって落下している。そして廣河原越えは実にこうした箇所の連続であった。それだけ私の抱く冒険心はひどく痛快さか『感ぜられたのであった。

 三時半、山ノ紳の石祠着。所々砂防工事が為されてある。もう道は楽であった。やがて峡谷から出て、駒城村の台地が目の前に開かれた。山裾の右手にある大藪鉱泉や左手に在る駒ヶ岳鉱泉など振り向きもせずひたすら道を急ぐ。

五泊六日の登行を終え、今まで忘れられていた下界の真夏に急に吐きされた故か、夕陽を浴びて大いに暑さを感ずる。懐かしく見返る山稜にはいつか白い雲が懸っていた。

午後九時、柳澤の村家へ着く。次いで日野駅に、七時半の上り列車を待った。






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最終更新日  2020年11月27日 20時25分07秒
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