2328503 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2020年12月31日
XML
カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室

南アルブスの先縦者 近代的登山時代

 

百瀬舜太郎『現在登山全集』「北岳 甲斐駒 赤石」

昭和36年 創元新社刊

一部加筆 山梨 山口素堂資料室

 

 南アルブスではその地形から、スキーやザイルを使用した登山、あるいはガイドレスといった形式は北アルプスに比較してややおくれていた。

 まず積雪期の登山は大正一四年三月、三高(現京大)の西堀栄三郎氏たちによって手をつけられ、両俣より北岳、間ノ岳への登挙が行なわれ、時を同じくして地元の平賀文男氏もまた大樺沢より北岳に登り、一五年一月には慶大の野村実氏たちが北沢より仙丈、駒に登り、昭和二年一二月慶大の国分貫一氏たちは北沢より白根三山の縦走に成功している。またこのころ赤石、塩見や鋸岳に早大の鈴木勇、矢島幸男民たちがウインター・アルピニズムの旗を立てている。

 岩登りとしては昭和四年七月、京大の高橋健治氏たちの北岳バットレスの初登攀、同五年五月関東山岳会の横田松一氏が駒ガ岳摩利支天南山稜の初登攀、同年一二月には東京商大の小谷部全助氏たちによる積雪期北岳バットレスの初登攀や昭和二五年三月には摩利支天南山稜に登歩渓流会の川上晃氏の成功などのかがやける記録がうちたてられた。

一方昭和一〇年ころから南アルブスをめざすものはようやく多彩となり、黒田正夫、初子夫妻、西岡一雄氏の渓谷遡行につづいて、とくに内藤八郎氏を中心とする明峰山岳会が白根集中登山という形式をとったり、登歩渓流会が冬もまたしばしば山行をもち、私たち甲府の南嶺会も積雪期や残雪期にささやかながら数多の記録を残していた。

 これらスポーツとしての登山や南アの大衆化は、一面には先駆者であった野村実氏が昭和五年一月慶大山岳部による大樺沢より北岳スキー登山に際し、草すべりにおいて雪崩のために遭難したことを初めとして幾多の悲しむべき事故をおりなしていた。

 なお著作の面から南アルブスを紹介したものは、

ウェストン師の前記二著、

小島鳥水氏の「日本アルプス」全四巻、

原口享氏の「赤石白峰山脈縦横記」、

平賀文男氏の「日本南アルブスと甲斐の山旅」

その他の数著、

加賀爪鳳南氏の「鳳凰山」、

今井徹郎氏の「南アルブスと奥秩父」、

渡辺公平、細井吉造、山下一夫三氏共著の「南アルプス」、

内藤八郎氏の「白峰、仙丈、駒、鳳凰」などがある。

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年04月10日 14時12分39秒
コメント(0) | コメントを書く
[甲斐駒ケ岳資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

【重要なお知らせ】I… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X