山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/01/10(日)17:59

山梨県の歴史 天正8年(1580)~天正17(1589)   武田勝頼 穴山梅雪(信君)の動向

山梨の歴史資料室(467)

山梨県の歴史 天正8年(1580)~天正17(1589)   武田勝頼 穴山梅雪(信君)の動向  『山梨県郷土史年表』山梨県郷土史研究会編    一部加筆 山梨県歴史文学館 ◇ 天正8年(1580)  ❖ 1,26 穴山信君、河内領湯之奥(下部町)の佐野文右衛門尉, 大崩佐野孫二郎の各私宅1軒の棟別諸役を免許 く門西美貞家文書・佐野文家文書>  ❖ 2.23 これより先,勝頼の祖父信虎の7回忌法要を行うため, 信濃佐久竜雲寺住北高全祝を招請したが老病のため謝辞, この目勝頼が北高を慰問<竜雲寺文書>  ❖ 3.5  穴山信君,市松院やその末寺の門前百姓の諸役を免許 <南松院文書>  ❖ 3,7  勝頼,北条氏政を撃ち相模・伊豆を平定するため、 信濃埴科郡練光寺住泉良に戦勝を祈願させる<錬光寺文書>  ❖ 3.9  これより先,中郡前山之神郷(田富町)が水損のため, 勝頼は同郷の御家人らの普請役等を免許し川除の再興に努めさせる <三井幸大家文書>  ❖ 3.15 勝頼、駿河浮島原に出陣,伊豆三島の北条氏政と対陣, この日甲相の水軍が伊豆重須沖に戦う<正木文書>  【筆註】この合戦の模様は伊豆天空の城にて模型・文書展示あり。 ❖ 閏3.9 勝頼,亡き先妻竜勝寺殿(遠山氏・俗語生母)の菩提所, 高遠龍勝寺の寺規を定める。<竜勝寺文書> ❖ 閏3、23織田信長の将柴田語家,当時越中に潜居, 家運再興を策する小笠原貞慶に書を与え, 上方の形勢と織田・武田面氏の国勢の比較を提示し, 信長への帰属を勧める<笠系大成> ❖ 4.19 勝頼,駿河三保神社々家配下の左衛門四郎らが, 武田家の旱船役を勤めるのを賞し塩釜役を免許 <美保社家太田文書>  ❖      石山本願寺教如、激を甲州一向宗坊主衆・門徒中に飛ばし, 宗門の敵信長打倒を促す<超願寺矢文御書>  ❖ 5.23 真田昌幸,勝頼の命により上州沼田在城衆に軍令を頒つ。 <長国寺殿御事蹟稿>  ❖ 6.19 勝頼,黒川金山衆依田兵部左衛門尉・田辺民部右衛門尉らの, 毎月馬一疋往還の請役を免許<依田泰八家ら文書> ❖      この日勝頼,信濃坂城耕雲庵に祠堂錢利倍徳役を許し, 併せて門前新造在家3軒に郷次の普請役を免許<耕霊寺文書> ❖ 7、20 本願寺顕如,勅命を奉じ紀州へ退去後, 新門主教如らの軽挙を難じ,甲州坊主衆の自重を求める <万福寺文書> ❖ 8、11  仁科盛信,高遠城に移り勝頼を助けて武田軍の退勢挽回を図り, 軍令を頒って兵備の充実に努める<等々力文書>  ❖ 8、   穴山信君,源三(石川氏)申請の伝馬を 江尻・興津・由比・内房・万沢・南部・下山・岩間・甲府まで 出すことを許す<石川要次郎家文書>  ❖ 8、16 勝頼,甲州秤座古河合太郎らの細工奉公を賞し 町榴1軒あて請商売役・利倍役・宿次の請役を免ずる <守随彦太郎家文書>  ❖ 8.24 勝頼が去る18日の戦いに中島大和守が 功を立てたので感状を与える<中島紀次郎宗文書>  ❖ 8.27 これより先,秋山下野守・跡部淡路守・羽中田・鮎沢らと 上州箕輪城を守る。 ❖      この日、勝頼、秋山らに鉄砲玉10万発の調達, 発埼など新検地を命ずる<森本願兵衛宗文書>  ❖ 8.   恵林寺住持快川,甲州叙上淑女君(勝頼夫人カ) の侍女に蘭渓の字記を授ける<南松院文書> ❖ 9.18 これより先,武田親族衆一条氏が、 領内青柳(増穂町)に新宿を立てる。 ❖      この日勝頼が棟別・普請役を除き, 青柳新宿に諸役を免許<中込政八家文書>  ❖ 9.28 穴山信君,遠江高天神城を救うため 徳川家康の軍と戦い敗れる 天正9年(1581) ❖ 1.14 穴山信君,佐野七郎兵衛尉の新屋3軒の棟例話役を免許して, 早川谷中における材木の奉公を励ます  ❖ 1.22 勝頼,逸見筋の韮崎に新城府を築こうとして 分国中より人足を集める。 この日普請奉行真田昌幸その旨を信州先方衆出浦氏に伝える。 <長国寺殿御事蹟稿>  ❖ 2.2  穴山梅雪,本領穴山の稲倉大明神に造営料5貫160文を寄進 <稲倉生山文書>  ❖ 2.7  勝頼の将、末木家重,嗣子政清に跡職を誤る<八田政統家文書>  ❖ 2.9  穴山梅雪,天輸寺領を検地<唐松院文書>  ❖ 2,15 勝頼,七里岩台上韮崎に新城を起工<民国寺殿御事蹟稿>  ❖ 2,   恵林寺に本光国師著快川書写の『見桃録』上下2巻を蔵する。 巻尾に「天正九年二月目再住花園現住恵林快川老衲」とあり, 上巻末尾に長禅寺殿一十七稔忌法語も掲げる  ❖ 3.6  勝頼,その将原貞胤の韮崎新城の普請に精励するを慰問し励ます。 <祢津晴雄家文書> ❖ 3.22 遠江の武田方高天神威が陥ち, 城谷岡部長教・栗田鶴寿ら城兵730人が討死 <家忠日記・信・落穂集>  ❖ 4.16 先に末木家重が嗣子政清に譲与した跡職を, この日勝頼が認許<八田政統家文書> ❖ 5. 1  穴山信君,身延出久遠寺の門前百姓の踏段を免許<久遠寺文書> ❖ 5.5  勝頼,出宮郷(甲府市)青松院の門前在家8軒の棟別錢 ならびに郷次の請普請役を免許<青松院文書>  ❖ 5,6  勝頼,富士道場西念寺(富士吉田市) 道者人別4文の勧進を免許,堂宇の造営を援ける<西念寺文書> ❖ 5.20 勝頼,御嶽蔵王権現に対し,田地役を除き普請以下の踏段を免許 <御岳金桜神社文書>  ❖ 6.19 勝頼,早川入り湯島・良田両郷民に行商を勧め,踏段を免許 <旧西山村文書・深沢輝一家文書> ❖ 7.3  勝頼,武川筋の甘利南宮明神に禁制を出す  ❖ 10、15織田首長,上杉景勝を討つべく越後に出陣を策し, 小笠原貞慶に奔走させる<越佐史料>  ❖ 10.18これより先,勝頼が韮崎新城の9月落成を盟邦中に披露, この日常陸佐竹氏の将梶原政景がこれを安房里見氏に報ずる <武州文書> ❖ 10.29勝頼,駿河に派兵して北条氏政の軍と戦う<国志>  ❖ 11.6 正親町天皇,南松院の住持明院祖芳を妙心寺社特に勅請する <唐松院文書>  ❖ 11、22これより先,北条氏政の将伊豆戸倉城主笠原級貞が武田方に降る, この日勝頼がこれを上杉景勝に報ずる

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る