山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/01/14(木)03:26

武田信虎・信玄・織田信長・豊臣秀吉 贈馬と献馬

甲斐武田資料室(258)

武田信虎・信玄・織田信長・豊臣秀吉 贈馬と献馬  武田信虎の馬 甲州ノ源府君武田信虎公、秘蔵ノ鹿葦毛ノ長八寸八分ニシテ其 甲陽肝、形例ハヘ昔「朝公ノ生 、摺ル墨ニモサノミオトラヌトテ、近国迄申ナラハセバ、鬼鹿毛トモ名付、嫡子(信玄)所望ナレドモ相違無ク進ゼラルベキ覚悟ニアラズ。云々  信玄の相馬法 凡大将ノ馬ヲ選ブニ心得アルベニヤ、甲斐ノ武田ニテ米沢ト云シモノ、奥ニ行テ馬ヲ求ムル時、信玄一首和歌ヲ書テ與フテ曰ク、上かんの中かんこそは大将の乗るべき馬と知れやものゝふ信玄五十匹ノ馬ノ中ニ乗ラレシ馬ハ四足栗毛、中段ニテ唯二匹アリ、甲斐山梨郡トシ野トイフ所ノ百姓、此四足ヲ養ヒ置シヲ米澤見テ又ナキ馬ナリトテ、信玄ニ申シテ五十貫ノ地ヲ與ヘテ此馬ヲ信玄ニ奉リヌ云々。 贈馬・献馬 贈 弘治 二年 1556  贈馬、  柳原兵部、良馬を献ずる。この馬嵐鹿毛を家康が室町将軍義輝に贈る。    献 永禄 四年 1561  献馬、三好義長進上、馬一匹。贈 永禄11年 1568  贈馬、  信玄公より信長へ御馬十匹。信長御曹司城之介へ御馬十一匹。   参考 織田信長と贈馬と献馬名将   信長自讃三アリ、第一ハ奥州ヨリ献シタル白譜ノ鷹、是希世之逸物也、第二青ノ馬、是ハ如何ナル砂浜石原ヲ乗テモ傾クコトナシ、龍馬トモイフベキ也、第三長康(森蘭丸)忠孝世ニ知ル所、此三ツ勝レタル秘蔵ノ由常ニ言ハレシトゾ。献馬天正 三年 1575 10月19日 献馬、奥州伊達方より名馬ガンゼキ黒、白石鹿毛御馬二疋竝に鶴取之御 鷹二足進上、(略)比類なき駿 馬秘蔵是は龍の子なり。 信長公記(以下信長)    天正 四年 1576    安東愛季、馬を信長に献ず。南部縫殿助献馬鷹於信長、自是毎年如斯、信長公喜毎年賜書刀、(以下略)   天正 七年 1579  4月    関東常陸国多賀谷修理亮朝宗、星河原毛ノ御馬云々    天正 七年 1579  7月16日 献馬、家康より坂井左衛門尉御使とし、御馬進上。 信長    天正 七年 1579  7月18日 献馬、出羽大宝寺より駿馬五ツ云々  信長天正 七年 1579 10月29日献馬、神保越中守黒芦毛御馬進上。  信長献 天正 八年 1580  3月 1日 献馬、加藤彦左衛門、佐目毛御馬進上。信長天正 八年 1580  3月29日 献馬、北条氏政より御鷹十三足、御馬五疋洛中本能寺にて進上。 信長天正 八年 1580  閏3月10日 献馬、宇都宮貞林、御馬牽進上。   信長天正 八年 1580  4月11日 献馬、神保越中守御馬二ツ進上。   信長天正 九年 1581  3月12日 献馬、神保越中守御馬九ツ進上。   信長天正 九年 1581  6月 5日 献馬、北条氏政御馬三ツ進上。    信長天正 九年 1581  7月17日 贈馬、信長、岐阜中将信忠へ御秘蔵の雲雀毛御馬被参候。云々 信長天正 九年 1581  7月20日 献馬、出羽大宝寺御馬進上。    信長天正 九年 1581  8月 6日 献馬、会津の屋形モリタカ奥州の名馬を信長に進上する。 信長天正 九年 1581  8月14日 贈馬、信長、御秘蔵御馬三疋、羽柴筑前カタへ被遣候。 信長天正 九年 1581 10月29日 献馬、越中ヨリ黒部タチノ御馬當歳二歳ヲ初として十九疋、佐々内蔵介牽上進上也。信長天正 九年 1581 11月 1日 献馬、関東下野国蜷川郷、長沼山城守名馬三ツ進上。 信長豊臣秀吉天正十六年 1588  3月 1日献馬、仙台御馬、二匹秀吉に献ずる。 貞山

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