カテゴリ:芭蕉 春の日 川島つゆ氏
『春の日』 川島つゆ氏 解説
昭和17年著 一部加筆 山梨県歴史文学館
曙見んと人々の戸如きあひて、熟田・のかたにゆきぬ。 渡し舟さはがしくなりゆく比、並松のかたも見えわたりて、 いとのどかなり。重五が枝折をける竹垣ほどちかきにたちより、 けさの気しきをおもひ出侍る。 二月十八日
春めくや人さまざまの伊勢参り 荷兮
【解説】川島つゆ
「曙見ん」とは枕草子「右は曙やうやう白く」を聯想させて気の利いた前書である。 人々とは、この日俳諧を共にした連衆であらう。親しい俳友が打連れて、春曙の景色を賞しがてら、名古屋から熟田の重五(俳人)を訪うたものと思はれる。「枝折をける」とは、「しるしおける」の意で、重五の使役であったか、或は、その日仮に定めておいた室であったか、 何れにしても、その日重五が主人公であったことは、荷号の発句に重吾が脇を附けてゐることによって知られる。 客発句、客人脇は、俳諧における通常の掟(例外もあるが)である。 この渡舟は、熟田から桑名へ渡る海上七里の宮の渡で、一行が船場のあたりに行き着く頃には、朝雲も薄れ、並木の松もほのぼのと見渡され、漫々たる蒼海は穏やかな朝の姿を現して来るのであった。そして、艇場に集い寄る伊勢まゐりの老若男女か、風俗や言葉使いもとりどりに、賑かにしゃべり立てゝゐるのが、いかにも春らしい感じを与えたのであらう。上五「春めくや」にそれらの和かな情景が浮び上って来る。『伊勢参り』といふ語感も長閑である。 前書のごとく、この句は重吾の支度しておいた座席に一行が打くつろいで後に、朝の景色を思い出て、おもむろに吟じ出されたものと思はれる。のんびりとした調子は『春の日』巻頭の句としてふさわしく。また、おのずからこの集の気分を代表してゐるものでもある。 ` 【註】 春の日巻頭。歌仙伊勢参り巻の立句である。 連衆は、荷兮・重五・雨桐・李風・昌圭・執筆の六人である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月18日 18時02分26秒
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