山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/01/18(月)21:53

芭蕉終焉記(1)花屋日記(芭蕉翁反故)

松尾芭蕉資料室(204)

芭蕉終焉記(1)花屋日記(芭蕉翁反故)  肥後八代 僧文暁著浪速   花屋庵奇淵校 九月二十一日(元禄七年 1694) 泥足が案内にて、清水布浮瀬の茶店に勝遊し給ふ。茶店の主が求めに短尺杯書きて打興じたまう。泥足こゝろに願うことあるによりて、発句を請いければ 所思  此道やゆく人なしに秋のくれ   翁   峡の畠の木にかゝる蔦     泥足    〔歌仙一折有略〕 連衆十人なり。短日ゆえ歌仙一折にて止む。今度はしのびて西国へと思ひたち給いしかど、何となくものわびしく、世のはかなき事思いつゞけ給いけるにや。此句につきて、ひそかに惟然に物がたりしたまひけり。   旅 懐  此秋は何でとしよる雲に鳥   翁 幽玄きはまりなし。奇にして神なるといはん。人間世の作にあらず。其夜より思念ふかく、自失せし人の如し。実に鳥の五文字、古今未曾有なり。(惟然記) 九月廿六日 園女亭也。山海の珍味をもて腸謳す。婦人ながら礼をただし、敬屈の法を守る、貞潔閃雅の婦人なや。實は伊勢松坂の人とぞ。風雁は何某に学びたりといふ事をしらず。岡西惟中が備前より浪華にのぼりし時、惟中が妻となる。その時より風雅の名益々高し。惟中が死後、汀戸にくだりて、其角(宝井)が門人となる。 白菊の目にたてゝ見る塵もなし   翁    紅葉に水を流す朝月       園女 連衆九人、歌仙あり。別記。(惟然記)  九月廿九日 芝拍亭に一集すべき約諾なりしが、数日打続て重食し給いし故か、労りありて、出席なし。発句おくらる。    秋ふかき隣はなにをする人ぞ   翁 この夜より、翁腹痛の気味にて、排瀉四・五行なり。尋常の瀉ならんと思いて、薬店の胃苓湯を服したまひけれど、驗なく、晦日・朔日・二日と押移りしが、次第に度敷重りて、終りにかゝる愁いとはなりにけり。惟然・支考内議して、いかなる良医なりとも招き候はんと申ければ、師曰く、我元々虚弱なり。心得ぬ医者にみせ侍りて、薬方いかゞあらん。我性は木節ならでしるものなし。願くは本節を急に呼びて見せ侍らん。去来も一同に呼よせ、談ずべきこともあんなれば、早く消息をおくるべしと也。それより両人消息をしたゝめ、京・大津へぞ遣わしける。しかるに之道の亭は狭くして、外に間所もなく、多人数人こみて保養介抱もなるまじくとて、その所この所とたちまはり、我知る人ありて、御堂前南久太郎町花屋仁左衛門と云者の、奥座敷を借り受けり。間所も数ありて、亭主が物数奇に奇麗なり。諸事勝手よろし。その夜、すぐに御介抱申して、花屋に移り給いけり。此時十月三日仇。(次郎兵衛記)

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