山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/04/27(火)09:20

野口二郎文集 望前顧後 昭和十一年四月十日・山梨日日新聞

野口二郎氏 文集(2)

野口二郎文集 望前顧後 昭和十一年四月十日・山梨日日新聞    『野口二郎 文集』昭和51年  編者 野口秀史氏 発行 山梨日日新聞社 一部加筆 山梨県歴史文学館   昭和五十一年四月二十六日 百ヵ日法要の日 野口英史 父は何にもまして、本を読み、ものを書くことが好きでした。夜なかの二時、三時ごろまで、古文書をあさり、筆を離さない父の後姿が忘れられません。文章と文字には、きわめてきびしく、社員の起案文書などは父の手を通ると必ず赤筆がはいりました。同様に自身の原稿に対してもきびしい人でした。 父の書斎や、山梨文化会館の会長座を整理すると、随想や評論をはじめ、それらを掲載した新聞や雑誌がヤマと出てきて、あの小さい、細いからだのどこに、これはどの筆力がひそんでいたのかと、改めて驚かされたようなわけです。そして、それらの文章のすみずみに、父の、山梨に寄せる細やかな愛情と、人間のあたたかみを感じるのです。私など、まだまだおよびもつかないと心から反省させられるのみです。    今回、数多くの記録の中から「山梨日日新聞」や、社内報の「山梨文化会館同人報」「月刊やまなし」などに掲載されたものを、編集したものがこの第一集です。この文章から故人の意のあるところを少しでもご理解いただけましたら、残された私ども遺族や、山梨文化会館各社同人の望外の幸せです。 本紙は今月十日をもって紙齢二万号の日を迎える。全国日刊新聞有保証金一千二百十九社中、創業の歴史において、明治五年七月のわが社の右にいずるものは、今日においては、中央、地方を通じて、わずかに東京毎日、東京日日、報知新聞の三社あるに過ぎない。  もとより新聞の価値は、いたずらにその歴史の新旧いかんによってのみ決すべきでなく、歴史ある新聞、必ずしも良紙とのみ速断するの軽々しさは、ここに改めて戒めるまでもないが、帝都のごとく政治教育の中心地にも非ず、さりとて阪神のごとく百貨ふくそうする商工業地にもあらず、僻陬(へきすう)、猫額にも足りない、わが山梨の地において、明治五丑年以来、かがなべて六十有五星霜、隆替常なき業界に処して、本紙の今日あるを思うとき、今更ながら、山梨の地と本紙と、因縁浅からざるを、しみじみと覚える。  本紙が明治草創の析、わが峡中の文化圃に発芽してから、幾多の試練を経、幾多の苦難をしのぎつつ、終始一貫党せず、偏せず、一意新聞報国の大道をまい進、全国地方新聞界に在って、きょういち早く紙齢二万号の春を迎えることは、一面、県民各位が本紙を支持されたのによると共に、本紙また江湖の負託に背くことのなかった一証左に外ならないであろうその間、新聞紙の本質においても、社会世相の幾変せんと共に、官庁布告の中心時代から指導的社会木鐸時代へ、次いで商品的社会レンズの時代へ、今やまた進んでおぼろ気ながらも、さらに、新しい時代的示唆を盛ろうとしている。たとえば、社会文化の種々相に対して、傍観者ないし発言せざるオブザーバーとして、善悪の事象を取捨することなく、ありのままに、機械的に報道し、その社会的反響のいかんは、ことごとく読者大衆の文化的そしやく力に委しておれば、事足りた新聞即商品的社会レンズの役割をのみ果しておれば、新聞は、今日も依然十分であろうか。この点、なお幾多の検討が加えられるべきであるが、われらは、新聞が従来のごとく単なる商品的レンズとして放任せられることなく、凡百の事象を紙面に複写する技術の上に、それぞれの社是ないし社風とは別に、確たる指導精神の樹立せらるべき時代が到来しかことを思う。もとよりわれらのこの所説は、新聞が指導的木鐸時代への復帰を暗示しようとする何物でもないが、単なる廉価版的商品の立場から一歩進んで、魂ある商品、信念ある新聞時代への推移を感ずるものである。さればといって、この事は、新聞の社会的公器たる点には、何らの増え減りもなく、変わりもない。従って、信念ある新聞の信念、魂ある商品の魂とは、新聞人の片々たる主観的独断たるを許さないことはいうまでもなく、それは、現代の社会通念と相通ずる信念であり、魂でなければならない。とまれ、将来われら新聞人に課せられようとする使命と責務とは、いよいよ重かつ大を加えようとしている。  更に転じて、地方新聞として将来本紙の進むべき道を望むと、果てしなく遠く広い。われらの郷土は、今日までわれらを中央から引き離しがちであった、四辺の連山の威力を抑えて、今や、新聞山梨の黎明(れいめい)に立ち、あらゆる現代文化の吸収に、誘致に、日もこれ足りない。蚕糸国としての更生、観光山梨としてのけっき、新工業の待望等々、千年のろう者、山梨は、今ようやく目ざめて、立ち上がろうとしているかである。この郷土の躍動に処して、揺るぎなき峡中の文化燈たるきん待の上に、一点の汚濁なからしめようとする願いこそ、本紙唯一無二の念願である。 

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