山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/05/16(日)19:26

加藤清正家法に耽読事停止之事

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加藤清正家法に耽読事停止之事    『半日閑話』太田南畝  一部加筆 山梨県 山口素堂資料室 加藤清正家法に耽読む事停止たり。花車風流に成て女のやうになる者に候。此ケ茶疑はし、後人の偽作にや。清正何ぞ耽読む事停止とどめんやと。思ふに此箇條漬正家法の随一と云べし。抑歌は我国の風俗にして、世々の朝廷に用られて今に盛んなり。古今集の序に謂へらく、花に嗚く鶯、水に住む蛙も歌不読と云ふ事有るべからず。目に見えぬ鬼神も耽を愛し玉ふ。然はあれど朝廷衰へ玉ふ事は、耽をのみ翫び、武に怠り仏を好み玉ふによれり。吾国歴代の書は『三代実録』迄にて、宇多朝より以来は野史稗説等わずかに残りたる許にて、たしかなる書記なければ、古代の文絶たる歴史にても迷作し玉ひては、我国万世の重宝たるべきに、唯歌のみに心を尽し、著述の事とては歌書、仏書の外なし。誠に朝家衰へ玉ふ事断りと覚ゆ。又武家に至て鎌倉右大臣、武を忘れ歌のみ好まれしが、其終を能し玉はず。亦奥泉下野守歌道中興の祖と歌人は尊みけれど、武勇の事を聞かず。細川幽斎歌道を好みて武を忘れ玉ふにや。丹後田辺の城に籠りて防戦に心を尽さず、歌読み居玉ふとなり。歌人より云はば大敵の囲を得ても屈せず、数寄の歌を詠じ玉ふ事人傑なりと称すべし。武道より云はば防戦の術を尽すべき時所を不知と云ふべし。籠城士卒の難儀は幾何なるに士卒を救ふ心なく、うかうかと歌を読み、長閑に心得玉ふ事、愚人はよしと云べけれども、聖賢は必ず免し玉ふまじ。漸朝宗の御影にて命を遁れ玉へど、家には疵を付玉ふと云ふべし。歌人は玄旨を住吉玉津島の神と同じやうに思ふべけれど、武道を弁へたる人の尊むべきに非ず。又若狭少将雅俊は木下肥後守家定の子故に、若狭の大守と成り玉ふが、宮にあらざる事を好み、武道の心掛なく、関が原乱の時、伏見の城に差置しに、敵を恐れて城を出で、若狭へ帰り玉ひ、臆病の名を後世に残し玉ふ。乱の後若州を削られ、東山に閑居し、長嘯子と号して風雅を好み、歌ばかり詠て世を送らる。大坂の御陣の時、長曽我部が京に居けるを、家康公気遣ひ玉ひ、板倉勝重をして大坂より招ども行かざるやうに、本知可給と仰遣さる。又真田幸村高野にある、是又大坂に入るべしと、浅野但馬守に命じて高野を不出やうにと仰遣さる。長嘯子は秀頼公の親類にて一方を可堅人なれど、兼て臆病を知召玉ふ故か。曾て御気迫の御様子なかりし。歌人は長嘯子書散し玉ふ反古さへ秘蔵されしとかや。近世歌好む人は武道雄ひ、其行跡和らかに女に類すべし。又は多くは歌読と云ふて歌読にするは隠世者の慎、又は仏者の徒也。如是事を思へば清正の歌読む事を停止せられし事殊勝なる事なり。然ど西国の風俗なれば少しは読んと思ひても、朝暮心を歌道に尽さゝれば成難し。自ら武道の心薄く成べし。往古の源三位慎故も歌道の達人なりしが、武道には薄かりしが、最期の時「埋木の花咲く事もなかりしに 身の成果はあはれなりけり」此の歌を見ても、頼政の武勇なかりし事見えたり。近頃黒田如水軒は英武の聞へある人なりしが、一生涯宇治頼政の能を見玉はず、身の成果はあはれなりけりと云やうなる、周章たる頼政の臆病を、武士たる者見聞ぬものなりと、誠に格言なるべし。頼政保元の乱に一家に属しながら、心を両端になし、終に一家を放れて平家に属し、其後聯の怒りに依て、高倉の宮を勧めて謀叛を起し、宮の御命を失はさせ玉ひ、其身も自害す。弓術の妙を得玉ふやうに云ひ伝へたれど、先祖頼光、頼義、頼家には遥かに劣り玉ふ。頼義・頼光・頼家は弱弓を用ひ玉へど、放つ先は羽ブクラを呑まずと云ふ事なし。義家は弤を引、打物を取て其精妙を得玉ふ。又平清盛公上﨟と成り玉ふ事、一家皆遊興にふけりて、朝暮歌の会のみにて武道を取失ひ玉ふ。忠度は鎧ばたの歌書とて戦場へ携へ、敦盛は一管の笛を大切とす。武道衰へたる事如此。義経の八島にて弓を取落し、小兵なりと笑れん事は口借とて、命に替て取返し玉ふとは天地の違ひなり。然と雖も古代の名将名士欲読けるにや。近代信玄道灌欲を好み玉ふなれば、耽読に武道の達人なきとは過言と云ふ人有べけれど、古代の名将名士と謂るゝ人、武道くらきはなし。信玄道灌の如きは欲をも乱舞をも得玉ふべし。是等を似するは鵜の真似する鳥なるべし。歌道は是神道、西朝の道なれば恋歌と云ふに非ず。士は武芸を尽す弓馬刀槍の術を得たる上なるべしと。我朝も神国なり。神武天皇武を以て草業を立玉ふ。神武の掟を背き仏を敬ひ、明暮歌ばかり読で好色の媒とし、花車風流を事とする故に、諸州朝家をうとみ、終に天下の乱となる。清正恵為治国一の士は花車風流に成安し、歌読乱舞を数寄ては軍事に疎きとて、歌読事を停止と家法を立られたる事なるべし。或人曰、上古朝家の書諸家の記録多かりし事、本朝書目に見えたり。然るに多くは絶果て類聚国史も全部せず、日本後記も全本に非ず、歌人は並ぶものなきやう云へど、淫乱不義の事書たるなくてもよかるべき、源氏物語、伊勢物語の類は伝りぬ。芝蘭は植れども生じ難し、名もなき野草は払へども尽ざるに等し。

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