2291150 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2021年05月18日
XML

野尻抱影先生と私 橘田貞夫氏

 

韮崎 『中央線』昭和47年

一部加筆 白州ふるさと文庫

 

 旧猟植松和一君へ甲府商業同級会の案内を差し上げたところ、折返し返事と同封して、『中央線』の新刊号が送られてきました。

 誌友の中に、植松君の他に菊島信清君の名の随筆では先生が花と鳥に触れながら、星の一字も見られなかったことが物足りない思いでした。

 そもそも野尻先生と私との触れ合いは、甲府商業五年生の時からと言えましょうか。と申しますのは、甲商五年生のとき私は『中央線』同人の菊島君、そして同じ北巨摩は熱見村出身で数年来病床におられる原卓弥君、更に秀才の誉れ高く、卒業後暫くして結核で不帰の客となった河竹下枝君、この三人と一緒に図書部の委員をしていました。委員と申しましても仕事は主として放課後図游室に詰めて、図書館利用者への図刄の受け出しが主でたから、暇にまかせて自由に書架の本を読む機会が与えられました。

 どういうキッカケからか覚えておりませんが、一日野尻先生の星の本を読んでから私は全く星の虜になってしまいました。当時の私の孤独感が私を星の世界へ引き入れたのかも知れません。

そして次々と先生の著書を読み漁って読みましたが、偶々新聞紙上で先生の新刊広告などみますと矢も楯もたまらず、無理してこれを買い求め、さては徹夜してこれを熟読したものでした。全頁アート紙を使って、泰西名画など美しい写真をフンダンに盛り込んだ「星座神話』という本など、当時たしか五円位した豪華本でしたが、こんな高価な本を僅かな小遣いを割いて惜し気もなく買う程の熟の入れようでした。

 初めは『星座早見表』を便って星座の位置を確認し、a、β…と主星から次々に覚えていった私でしたが、やがて新聞全紙大の星図と懐中電灯をもって広場へ出て、オーバーの襟を立てて、冬の夜空と星図とを首っ引きで眺めては悦に入るようになりました。夏の縁台で傍目には気狂いのように夜空の星とにらめっこをして首筋を痛めたこともありました。そして趣味はやがて科学的にも又学的にも発展して、恒星年鑑や神話にも大きな興味を覚えるようになりました。

 いま私の家のトイレの窓から真正面に、大熊座がヒシックの柄を下に向けて鮮かに立っています。少年の頃、頭にしっかり覚え込まされた教育勅語や歴代の天皇の称号も、今ではスラスラ言えなくなり、三十章位まで暗誦できた徒然草も所々しか覚えていない私ですが、不思議と生活と直接関係ない大熊座の七つの星の名前、ドーベー、メラク、フェクダメグレズ、アリオト、ミザール、ベネトナスクと順を追って覚えていることも、星への当時の関心の深さを物語っているものと思います。そしてメラクとドーベーを結んでその数倍延長したところにポーフリス(北極星)が輝き、この北極星は海上ならぬ地上での方向を知る上に、人一倍方向音痴の私にとってどんなに役立っているか知れません。またこの北極星を見つめては、時折自分達の住んでいるこの地球が自転公転している事実を肌身に感じ、星のわかる者ならではの幸せを毎々と味わうことも屡々です。

 窓から少し顔を出しますと、辺りに余り明るい星がないため、女王の椅子と呼ばれるカシオペアのW型の星座がクッキリと浮び上がっています。

 冬の夜空での圧巻は何といってもオリオン座です。リゲル、サイフ、ベテルゲウズ、ベラトリックスの四つの星で形造る矩形、そしてその中に、野尻先生が「田舎の夜祭りを思わせる」と形容された三ツ星、等間隔に縦に並んだミンタカ、アルニラム、アルニターの名前も、やがて私が全く恍惚の人にでもならない限り生涯忘れられないことでしょう。

夜道を歩いていて、不図見上げる空にこの美しい三つ星を眺めるとき、その日の嫌な思いなど払拭されるような明るい気分になれます。

 星の美しさと言えば、野尻先生は自然の図型の美しさ、光度の美しさ、色の美しさ、またたきの美しさ、回転の美しさ、等々幾つか星からだけ味わえる美しさを列挙しておられましたが、このオリオン座一つにもこれらの星の美しさが感じられます。例えば右冒のリゲルの白色に近い青い色は、左下のベテルゲウズの色と較べて、肉眼にもはっきりその違いと星の年齢が察せられます。またたく三ッ星の可憐さは正に子供の頃の夜祭の堤灯を思い起させます。そして三ツ星の右に見える、いわゆる「オリオン座の大星雲」と称する綿か雲のような量の聚落は、自然の不気味さと偉大さを物拒っているかのようです。ヘラクレスの巨像も星を学ばない人達には到底想像もつかない無縁の存在でしょう。

 全天第一の明るさをもつ大犬座(カニス・マヨール)のシリウスと、小犬座(カニス・ミノール)のプロシオンと、オリオン座のベラトリックスの三つの星でつくる大三角形はオリオン座の大四辺形と並んで、自然の綾なす冬空の大造形美といえましょう。冬の夜空の造形の双璧と言っても過言ではありますまい。

 

 星の光度で思い出すのは、全天十六個の一等星の中、寿老星(カノープス)だけは、日本の空からは見ることはできない、台湾か南の島へ行かないと見られない、と言われた先生の言葉です。これも日本では見られない南十字星と共に、まだ見ぬ星への夢と憧れをもっていました。もし情熱に溢れていた私の少年時代に、閑と金があったら或いは星を訪ねて遥か南の島に旅に出たかも知れません。

 『葡萄の房のように美しい』と野尻先生が賛美しているペルセウス座の下端に輝く昂 (すばる)も、冬の夜空で忘れられない星です。眼のよい人なら六つか七つも見えるということで、ジー?とこの葡萄の房に見惚れたこともありました。この星座には有名な変光星があって、一定の時間ごとに光度が変化するということで、時計と首っ引きでその変化の様子を確かめたこともありました。

 春の獅子座や乙女座もさることながら、夏の夜空の星は冬のそれとまた異った美しさをもっています。中央にかかるペガサスの大正方形、幼児もその名を知っている七夕さまの牽牛、織女。そしてその聞の天の川。天の川に大きな翼を拡げる白鳥座。琴を奏でるオルフェウスの悲恋物語等神話と併せ眺めるとき星の興趣は限りなく広がってまいります。

 その白鳥座の首の辺りにアルビレオという余り大きくない星があります。三等星くらいでしょうか。先生は母音を列ねたアルビレオの語感がえも言われず美しいと申しておりましたが、私も全く同感です。私が若しこれまで喫茶店か明るいバーでも経営していたなら、きっとその店にこのアルビレオという名前をつけていたことでしょう。「すばる」とか、「オリオン」とか「シリウス」といった名前の店は時々見かけますが、「アルビレオ」という名の店はついぞまだ知りません。

 

私の田舎は市川大門ですが、年に一度位墓参りで帰るとき、富士身延線を利用することが多いのですが、市川本町の駅の手前に「甲斐上野」という小さな駅があります。ふとホームの駅前標示板に「かいうえの」と平仮名で書いたのを見ると、その母音の組合せからきまって白鳥座のアルビレオを想い出し、この想いが野尻先生へつながり、多感だった少年の頃にかえるのが常です。

 忘れられない星と言えば、夏の夜空の南に輝く無気味な、黄色というより赤に近い蠍座(さそりざ)のアンタレスという星のことです。先に述べたカシオペアだの、大犬、小犬だの、更に北斗七星の大熊座にしても、星を連ねて椅子や動物の形をつくることは至難な業ですが、このさそり座は正に蠍そのものです。蠍がからだをまるめて頭を上に、そして鋏をもたげた姿は、形から受ける印象だけでも気持のいいものではありません。

 その蠍の心臓部とでもいうところにアンタレスという星が無気味な色を輝かしているのです。もともとアンタレスという名前はアンチ、アレスから来たもので、アレスは火星の意、つまりアンチアレス、つまってアンタレスとは『火星の敵』といった意味です。火星は誰も承知のように他の惑星と異り赤い色の星です。この赤い火星が偶々さそり座の近くにあるとき、火星とさそり座のこの星は互いの不気味な色を競うように見えるところから『火星の敵』アンチアレスと名付けられたということです。

 そのアンタレスも前には南の窓から眺められたのですが、道を隔てて建てられた高い建物に遮ぎられて、今は家の中からは見られなくなってしまいました。

 私は少年の頃こんな夢をもっていました。

大きくなって自分の家を建てるときは、二階か三階の上の屋根をドームにして円形の硝子窓とし、できればそのドームを前後座右に回転するようにして、寝ながら四季の星座が眺められるようにしたいと思っていました。それどころか近所に次々と高い建物がたって、年毎に空を眺める視野が狭められていくことは、日照権などという問題と別に人間の情操を育てる上から淋しく残念なことです。

 いま横浜という東京の近郊に住んでおりますが、大船に近い、周囲に工場のない比較的空気の清浄なところですから、家から一歩外へ出れば、星月夜なら降るような星が眺められることは幸せだと思っています。ただ、バスから降りて家までの百メートル程の道を、たまさか空を見上げて自然の美に接するだけで、星図と懐中電灯を手に寒空を仰ぐ情熱も失い、星座の本に親しひ気力すら失いかけていることは、年の故とは言え情ないことだと思います。そして星についての知識を与えて下さり、大きな夢と憧れを培って下さった野尻先生に対しても申し訳ない気がしてなりません。

 星についての随想など綴ったことのない私ですが、先生がこの一文をお読みになられてかって先生の著書にこれ程傾倒し、無中になっていた多感な少年がいたことにお気付きになれば私は幸いと思っております。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年05月18日 17時25分57秒
コメント(0) | コメントを書く
[韮崎市歴史文学資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X