2021/06/08(火)16:10
『三画一軸の跋』 山口素堂 55才 元禄九年(1696)
『三画一軸の跋』 山口素堂 55才 元禄九年(1696) 我住むかつしかの同じ郷人琴属、家に立圃が盲人の情を、うつせるを、其角が乞食を書けると、ならへ愛しけるを、はせをつくづくと見て、人として眼くらきは、天地を日月なきにおなじ。また食にともしきも、人にして非人なり。われたけひき食にともしからず。三界を笠にいだきて、風月をともなひ、吟行せし圖を、此のしりへにそなへんと、淡き墨もて書ちらし、濃州大垣の画工に丹青をくはさせさせて、所々の狂句をも書ぬべきあらましにて、行脚のいそぎやとりまぎれん。また立帰りての事ともやおもひけん、反古にまきこめ、風雲流水の身となりて、その年の時雨ふる頃なにわの浦にてみまかりぬれば、藻にうつもるる玉かしはとなりぬべきを、琴風漸くたづね出して、ほいの如く三画一軸とはなし侍れど、句を書のせざること賎心とやいはん。 また十分ならざる処かへつて風流とやせん。名印もあらざれば炎天の梅花、雪中の芭蕉のたぐひにや沙汰せん。されどもかの翁の友に、生残りてたらんもの我ならずして 又そや。 しもつかさの国かつしかの散人 素堂