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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年08月21日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

甲斐源氏と甲斐国司(1)

 

 甲斐源氏と甲斐にやってき朝廷派遣の国の役員の関係は未だに理解できない。乱立しはじめる以前の「**守」の規定は事細かく決まっていた。しかし武士が主流を為すようになってからは、**守は乱立し始めた。例えば馬場美濃守信房の「美濃守」にしても、原美濃守の跡を継いで美濃守を名乗ったとされるが、当時周辺の史料を調べてみると、他にも「津金美濃守」など同時代に他の武将が称している事実が出てきた。

 また後世系図作りになどでつけたと思われるものもあり、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光が「甲斐守」を名乗ったとすることなどは、こうした類のこことも思われる。

 この年表は甲斐源氏の動向とそれ以前からの朝廷支配の様子を甲斐源氏武将と甲斐国司を並立することで、甲斐の過渡期を浮かび上がらせてみた。その結果これまで伝えられる山梨の歴史の流れに誤認があることもわかってきた。この年表前後の状況については、甲斐の歴史年表及びその他の資料を利用してください。

  

 参考資料

 「山梨県史」「甲府市史」

「韮崎市史「武川村史」「甲斐国志「甲斐資料集成」

 「長野県史」「群馬県史」「茨城県史」

「日本国歌集成」「群書類従」(その他)

○寛平6年2月(894)【『古今和歌集目録』】

◆甲斐少目…凡河内躬恆。甲斐権少目。(おおしこうちのみつね)

【『古今和歌集』】

…かひのくににまかりける時道にてよめる

……夜を寒みおくはつ霜をはらひつゝ草の枕にあまたたびねぬ

 

【『甲斐国志』】

…拾芥歌人三十六人を載す。云、躬恆古伝云、不見甲斐権少目、淡路守、或本云、大井川行幸和歌書に書する所、散位。

 

【『甲斐国志』】

…壬生忠岑…古今集序右衛門府生とあり、本州の役に補せられ在国せし由諸書に見える。

 

【『夫木和歌集』】

…かひの国へくたりまかりけるに

……君かため命けひにそ我はゆく鶴のこほりに千世はうるなり……

 

【『古今和歌集』】

…甲斐の国にあひ知りて侍ける人とぶらはむとて、まかりける道なかにて、にはかに病ひして、いまいまとなりにければ、よみて京にもてまかりて母に見せよといひてつけ侍りける歌…在原滋春…

……仮初にゆきかひぢとぞ思ひこし今は限りの門出なりけり……

 

○年不詳【『甲斐国志』】

◆甲斐守…藤原元眞…拾芥抄載歌人三十六人。元眞甲斐守清邦の男丹波介五位とあり。

…大系図に武智丸五世有貞雄清邦也。元眞亦甲斐守也。

 

○寛平9年1月25日(897)【『類聚符宣抄』】

…甲斐采女…甲斐国の采女の定員が一名と定められる。

 

○昌泰1年閏10月(898)

…壬生忠岑(ただみね)

【『忠岑集』】

生忠岑が陽成上皇の使者として甲斐国下向。  

…かひにくににまかる、まかりまうしに

……きみがためいのちかへぞわれはゆくつるてこほりとよをうるなり

【『貫之集』】

…忠岑がもとに   

……かひがねの松にとしふるきみゆえにわれはなけきとなりぬへらなり……

 

●国司、不明…仁和3年(887)~延喜7年(907)

 

○延喜8年(908)【『政事要略』】

◆前甲斐守…藤原滋根、国務について勘解由使勘判が下される。

 

○延喜9年1月11日(909)【『西宮記』】

◆甲斐守…(姓欠)正基 前上総守、為甲斐守。

○延喜14年5月7日(914)【『類聚符宣抄』】

◆甲斐守…藤原貞淵。従五位下。前上総介。

○延喜21年9月7日(921)【『類聚符宣抄』】

◆秦繁覧(しげみ)…検甲斐国交替使主典退任。

○延喜21年9月7日(921)【『類聚符宣抄』】

◆奈癸良貞(なきのよしさだ)…甲斐国交替使主典(さかん) に任じられる。

○延長2年(924)【『貫之集』】

…紀貫之…

…延長二年ひだりのおとどの北のかたの御屏風のうた十二首

……甲斐がねの山里みればあしたづの命をもたる人ぞすみける……

●国司不明…延喜15年(915)~延長5年(927)

 

○延長6年1月29日(928)【『古今和歌集目録』】

◆甲斐守…高向利春(たかむこの)。従五位下。  

 

■承平2年10月13日(932)【『富士史』】

…富士山噴火。

 

■承平7年11月某日(937)【『日本記略』】

…富士山噴火。

……十一月某日、甲斐国言、駿河富士山神火埋水海。

 

●国司不明…延長7年(929)~承平7年(937)

 

○天慶1年(938)【『勘解由使勘判状』】

◆前甲斐守…藤原望江(もちえ)在任中の国務について、勘解由使勘判が下される。

 

○天慶4年6月2日(941)【『本朝世紀』】

◆櫟井直幹(いちいのなおもと)右馬少属櫟井直幹が甲斐・武蔵国の択馬使として派遣される。

 

○天慶中(938)~(946)【『前太平記』】

◆前甲斐守…(姓欠)保盛。前太平記天慶中、貞盛の次将に甲斐前司保盛を載す。

 

○天暦2年2月5日(948)【『貞信公記』】

◆前甲斐守…小野維幹(これもと)これより以前、前甲斐守小野維幹の子が、平将門の乱の際、常陸国府・国分寺に異変があったと話す。

 

○天暦6年2月(952)【『富士史』】

■富士山噴火。富士山峰より北東に噴火。

 

○天禄3年2月19日(972)【『公卿補任』】

◆甲斐守…藤原時光。従五位下。為甲斐守。補任。

 

○天延1年2月29日(973)【『公卿補任』】

◆甲斐守…藤原時光。従五位下。為甲斐守。在任。

 

○天延2年8月10日(974)【『本朝文粋』】

◆前甲斐掾…刑部良秀。前甲斐掾刑部良秀、云々

【『甲斐国志』】

…慶保胤の文中に前の国司司馬刑部良秀とあり。按に司馬は国介を斥すなるへし。

 

○天元2年1月28日(979)【『大間成文抄』】

◆甲斐介…源宗利。正六位上。補任。

 

○永観1年1月27日(983)【『大間成文抄』】

◆甲斐権掾…安部信義。正六位上。甲斐権介。補任。

 

○永観1年1月27日(983)【『大間成文抄』】

◆甲斐権介…菅野倫随(ともゆき)正六位上。甲斐権掾。補任。

 

○永観2年2月1日(984)【『大間成文抄』】

◆甲斐権介…源興堪(おきとう)正六位上。甲斐権介。

 

○永観2年2月1日(984)【『中古歌仙三十六人殿』】

◆甲斐権守…大江匡衡(まさひら)従五位下。甲斐権守。

 

○永延年間(987~988)【『続詞花和歌集』】

◆甲斐守…源師綱(もろつな)任国甲斐から京都へ和歌を送る。

…甲斐守にて国を侍りけるころ、

朝光大将のもとに侍りける人のもとへいひつかはしける…源師綱朝臣

……さすらふる身をいづくにと人とはば

はるけき山のかひにとをいへ……

 

○永祚1年2月26日(989)【『小右記』】

◆甲斐守…菅原忠貞。甲斐守辞任。其甲斐守忠貞が就任を辞退。

 

○永祚1年2月26日(989)【『小右記』】

◆甲斐守…橘道時。補任。

 

○正暦4年(993)

■富士山噴火。

 

○長徳2年1月25日(996)【『長徳二年大間書』】

◆甲斐権掾…大春日遠明。正六位上。

◆甲斐掾…坂本広茂。正六位上。

◆甲斐掾…三国重信。名替停。

 

○長徳3年1月28日(997)【『大間成文抄』】

◆甲斐介…賀陽文時(かやのふみとき)

 

○長徳3年1月28日(997)【『大間成文抄』】

◆甲斐権掾…山背師光 もろみつ 正六位上 補任。

◆甲斐権大目…伊豆友近(ともちか)甲斐権大目。補任。

◆甲斐権小目…大和(名不詳) 甲斐権小目 補任。

 

○長徳3年5月19日(997)【『権記』】

◆甲斐守…源忠規。甲斐守源忠規の従者、勅旨に狼籍をして逮捕される。

 

○長徳4年1月25日(998)【『大間成文抄』】

◆甲斐介…賀陽文時。名替停。

◆甲斐介…私氏民(きさいのうじたみ)正六位上。補任。

◆甲斐権掾…山背師光(もろみつ)正六位上。名替停。

◆甲斐権掾…子部吉景(こべのよしかげ)正六位上。補任。

 

○長徳4年10月27日(998)【『大間成文抄』】

◆甲斐権小目…六人部茂興。正六位上。補任。

 

○長保1年1月30日ころ(998)【『任国例』】

◆甲斐権大目…秦(名不詳)。前春宮籍。秦忌寸。

 

○長保1年3月7日(998)【『本朝世紀』】

■富士山卜占…富士山噴火について卜占が行なわれる。

 

○長保3年10月10日(1001)【『母后代々御覧記』】

◆甲斐守…源高雅。甲斐守源高雅。従四位下。在任。

 






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最終更新日  2021年08月21日 07時09分56秒
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