山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/09/01(水)05:56

信玄の子ども 勝頼  『兜嵩雑記(とんがざっき)乾』

山梨の歴史資料室(467)

信玄の子ども 勝頼  『兜嵩雑記(とんがざっき)乾』 然るに嫡子信濃守晴信公は豪勇智仁の大将にして、所々の戦場に於いて勝利を得られ、日本の七大将と名を揚げ給う、然るに天文年中二月十二日、剃髪ましまし法性院大僧正徳永軒信玄と改名有り、その御舎弟左馬頭信繁、永禄四年信州川中島に於いての合戦で討ち死に成り給う、惜しいかな文武の勇将也。その次同孫六入道逍遥軒信連と號す、然るに大僧正信玄公の長男太郎義信、陰謀の聞こえ有りけるに依りて自害する、次男隆實と申して盲目にして海野の名跡を継ぐ、三は女子にして穴山殿へ嫁し給う、四男伊那四郎勝頼、諏訪の名跡と定まり給う、五男五郎信盛は仁科家の名跡なり。然るに武田家の御名跡無き故に、勝頼の長男信勝を武田の家督と定まり相続仕り給うように御定まる也、然ると雖も未だ御幼少まします故、成人に成る間伊那四郎勝頼が後見として、萬御心に任せ、大小と無く執行し給う。 

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