山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2021/09/09(木)08:05

山高氏 一四代、信吉

白州町・武川町 歴史文学史蹟資料室(320)

 山高氏 一四代、信吉 一四代信吉は信俊の嫡男で、元和三年(一六一七)の誕生で通称を新右衛門といった。正保元年(一六四四)二十八歳で将軍家光に謁し、大番に選ばれた。親吉の父信俊も寛永十九年(一六四二)に大番に選ばれていて、山高氏と大番とは関係が深いので略説を加える。 大番は江戸幕府の常備軍団の一で、書院番とならんで両番と呼ばれ、大番に列する老はその家柄を重んぜられ、精鋭をうたわれた、最高に名誉ある軍隊であった。この大番に信俊・信吉が所属したことは、山高家が由緒正しい武田家の支流であり、強豪をうたわれた武川衆出身であることと、無関係ではない。 信吉は、正保三年(一六四六)十二月産米二〇〇俵を賜わり、寛永七年(一六三〇)六月には組頭に進み、十二月塵米二〇〇俵を加えられた。延宝四年(一六七六)十二月父信俊の遺跡を継いで、さきに賜わった禄は収められたので、結局五〇〇石の高であった。翌五年八月五日没、六十一歳。法名自性。妻は武川衆柳沢安忠の息女、吉保には姉に当たる女性である。

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