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2021/09/09(木)08:20

武川町指定山高氏代々とその墓

白州町・武川町 歴史文学史蹟資料室(320)

武川町指定山高氏代々とその墓  鳳凰山高龍寺(史跡と文化財『武川村誌』一部加筆)  昭和五十三年十一月一日指定 高龍寺は山高氏の菩提寺で、境内には山高氏代々の墓がある。山高氏は祖先甲斐守信方が、山高村に封じられ初めて山高氏を称した。信方は一条義行の長男である。一条氏は宗家武田氏の第二代信光の第四子一条信長よりはじまる。信長の子一条信経、信経の子時信、時信の子が義行、義行の子が山高信方である。 山高氏の系図は図一のとおりである。(略)【越後守信之】 山高基春までは記事がない。越後守信之は武田信虎に仕えた。墓は山高の高龍寺にある。石見守親之は信虎、信玄に仕え、武川十二騎の随一であった。永禄四年九月十日川中島合戦で武田信繋が戦死したとき、親之はその敵を討って信繁の首を奪い返してともに信玄に献じた人である。同九年六月十八日没した。年五十八。【宮内少輔信親】宮内少輔信親は信玄に仕え、永禄十二年の小田原攻めに参加し、三増合戦に首級を獲り、功があった。元亀三年十二月二十二日、三方原合戦で討死した。四十二歳であった。【信直】信直は信玄、勝頼に仕え、武田信繁の男信豊に属していたが、天正十年勝頼没落ののち武川衆一同と共に家康に帰属した。 そののち若神子に対陣のとき、北条氏直の誘致に応じなかった。ついで十二年小牧長久手の戦、十三年信州上田城攻め、十八年小田原陣、関東入国後の鉢形移住、十九年九戸一揆のとき供奉、文禄元年朝鮮出陣に当たり、が船材伐採指揮をとった。慶長九年三月二日には折井次忠に宛てて下された武川衆一四名、連名一紙の知行宛行状において、七〇石の加増を受け、武蔵男余郡内にてすべて二〇〇石を知行した。十九年致仕、寛永二年四月二十日没した。七十三歳。【親重】 親重は、わが子信俊が山高本家を相続したのに対し、別に一家を創立したが、その経歴は天正十九年九戸一揆のとき初めて家康に謁し、父信直と共に岩手沢まで供奉したのが始まりであり、関ケ原役のときの上田城攻め、大坂冬陣の従軍、同夏陣のときの甲府勤番、駿河大納言忠長附属、忠長没落による処士生活、家光に召し返されて甲斐の本領を安堵せしめられ、大番を勤めた。慶長八年知行地を与えられようとしたとき、親重は、成績正成に就いて、父信直と別格に賜りたいと請い、慶長九年旧知を巨摩郡山高村において二七〇石余を拝領した。これが甲斐の本領である。 親重は山高の高龍寺は先祖代々の菩提寺であるので、以前は村から遠くたびたび盗賊の難に合っていたので慶長十六年現在地を取立引き移した。親重三十七歳のときである。高龍寺は以後も法道の地として望んでいたので、客殿を建立しょうと心掛けて四〇年を経過し、ようやくその実現に至る寸前に慶安元年八月九日、七十五歳をもって病死したのである。【信俊】 親重の子供は信俊、信保の兄弟があった。長子信俊は祖父信直の養子となって慶長十九年山高本家を相続した。信俊は慶長十三年十三歳のとき秀忠に拝謁し、相続したときは十九歳であった。その後は大坂両度の陣に従軍した。 元和二年駿河大納言忠長に附属した。忠長没落ののち処士となり、寛永十九年十二月十日召返されて家光に仕えた。忠長に仕えたとき三〇〇石を領したが、家光に召し返されたとき本領巨摩郡の内、もとのごとく三〇〇石を賜った。このとき慶安四年弟信保と力を合わせて父の意志に従って高龍寺を再興し、積翠寺の興国寺に対して末寺としてくれるよう依頼している。 のちに下総に移り、延宝四年十一月十四日八十一歳をもって没した。【信保】 弟信保は、父親重が別家を賜ったので、父のあとを継いで、高龍寺の再興に力をつくし慶安三年四十五歳のとき客殿普請にあたり広く世の人に呼びかけ、慶安四年、是鏡和尚住職の時完成した。しかしながら高龍寺は無寺領のため、山高氏の法道の地として末長く続く様に寺領として永代高一〇石を絵図改帳と共に添えて寄進した。それによると、田二筆、畑二九筆、合わせて三一筆で一町七反七畝九歩分米合一〇石となっている。ときに慶安四年十月九日である。 信保は一〇年後寛文元年兄の信俊と共に下総に移され二七〇石を知行し、五月十四日御代官となり、寛文十年五月二十七日石見国において死す。年六十五歳であった。 高龍寺中興開基として左の方が信保の墓で、右の方は開基山高信之である。この他代々の五輪塔四基、宝筐印塔五基石室一基がある。いずれも小形のものであるが中世武士の質素な生活を象徴するといえよう。青木の常光寺にある青木氏の墓も同様である。 親重の宝筐印塔は二基あるがいずれも信俊と、信保兄弟が施主となっている。あるいは一基は親重の妻か、なお親重信俊以降の山高家の墓は東京牛込の宗参寺にある。 

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