カテゴリ:山口素堂資料室
秋に伊勢の乙由老人を尋て
『魔詞十五夜』(まかはんや)素堂三十三回忌追善集中 黒露編
廿とせ余りの頃、秋に伊勢の乙由老人を尋て十夜さ斗麦林舎に泊りし折から、ある夜話に俗談平話といふとて、たと百にならさるやうこそよけれといはれし、又一巻首尾の調ふといふも、面の四句めの句によれり、 いかにも安らかに軽く有たし、さて五句めより聯句して、四折は整ふとて四句めをいかう大事かられしか、ことし廿余年の古ことゝなれるぞ哀なる。 凡正風詠は黒小袖の様なる物也、花やかにはやりかなるもやうとおもふ衣も、間もなくすたるかとすれは、又是の荒れ野のと物十年とは続かぬを、黒は百とせも変らぬをや、百年にして論定る共有する也、いかに又正風詠ニてあちら表もこちらおもてもなと聞るは、歌の上にはたゝことなるへくや、一句の姿風雅ならすしては句とはいふへからす、只の黒色の服ほころひけツくしからすもや彼松躰とやらん沙汰せさせ給ふころなるべくぞ、時代々々の姿詞は変わる共、此詠位不易。
九十六文を百文として通用する事は、 『魔詞十五夜』(まかはんや)素堂三十三回忌追善集中 黒露編
九十六文を百文として通用する事は、鎌倉の長尾意元入道の工夫也と石水寺物語に見えしを、さも能勘弁とす、そっくりと居たるにそ一句の地位雲泥也、 又、 道の辺の木槿は馬に喰れけり (芭蕉句) の句は、後に道ばたのと直されけるとそ、誠に言葉剛く彼俗にしてよしと云へる詞といひ、俳意いよいよつよし、これらそ雅俗一致の世界ならんか、入とは一見すとやいはん、 玉津島霞入江の春の曙、 と家隆卿の詠歌心こと葉の至大至剛照互すまし
京の言水歳旦に、 『魔詞十五夜』(まかはんや)素堂三十三回忌追善集中 黒露編
京の言水歳旦に、 初空やたは粉の輪より間の比叡、 といふ句の拙か、初心のほと甚おもしろく思ひて素翁(素堂)へ申ければ、しはらくして「間の富士」とこそいふへけれとの給ふを尤の事とおもひ、ある日僧専吟にかく有し咄けれは専吟の曰く、言水もさ思はめと京ゆへ也、そこらか素堂の古き心よりの評也と云しも亦尤とおもひ、其 後又翁へ専吟評をいひけれは、夫々と皆趣向を借て道に深く入りたらぬ故の論也、予が句に 地は遠し星に宿かれ夕雲雀 とせし句、地は遠しと濁りて吟する時は、一句廃(すた)るとおもひ終に披露せす捨たり、 其句も京故ならすは捨るがよし、 秋風そ吹しら川の関 との歌の咄しせしをば、いかに心得たるとて示し給ふ。拙いま按に右の両氏ともに、句は上手にても有るべく、心は下手なり。
富士山の文字二ツ三ツも有 『魔詞十五夜』(まかはんや)素堂三十三回忌追善集中 黒露編
富士山の文字ニツ三ツも有、是によれるにも有ましけれと、『説苑巻七歌垣篇』曰く、 文王問於呂望曰、 為天下若何対云 王国富民覇国富士 云々、東都の御栄へ千秋万寿の南山よき富士のもしの拠とはみむ鏡村井氏玄理引出
京の淡々ともなひ大坂へ下るとて 『魔詞十五夜』(まかはんや)素堂三十三回忌追善集中 黒露編
京の淡々ともなひ大坂へ下るとて、与渡を例の昼舟にてゆくに、牡丹を真壁の黒箪笥に入釣台に截切やらん結構なる覆ひかゝり担がせ、足軽仲間厳めしく通しを、如何なる方に行やとおもひけるを、舟頭のいふ、 九条様へ淀の御城守より遣せられける、毎年今さ此通侍ふ とそ、思はす淡々と見合て笑ふ、淀舟といふ前にほたん箪笥とは付ぬ句なれと、眼前かく有からに何にても附ぬ句はなき物とおもひしに、年へて思ひつづくるに、いかにさあれはとてけねんもなき附合也、似つこらしくこそ有たけれ、其ころ京江戸ともに専ら附ぬ句をする事戒しか一句立にてつかぬ句のみせて、百韻とつづけぬるも無益也、佳句はかりせんと構えたるを、喩は項羽も信玄も一戦々々勝利得給ぬといふ事なく、されど後度(のちほど)の治平の節は高祖と信長に有し也、 一巻旬々皆よき句して、前後をわきまへずして、首尾の調べはさるは巻中の乱也、他句を出来るやうに、由句はさのみ出来さず、相手をそだて仕よきやうにすれば百韻は満尾す、巻つら拍子よく我は出来さず、他旬を出来させんとする心がけ、並並の人情にては中々、十が十どうしてもてかし度(たく)なる所、作故に上手も稀々也、木の道の内匠なども、のみ込の悪きは下大工也、そのくせじやうもこはし、じやうのこはきは不成就のもと。
宗抵ハ飯尾氏、南紀の産とそ 『魔詞十五夜』(まかはんや)素堂三十三回忌追善集中 黒露編
宗抵ハ飯尾氏、南紀の産とそ、其むかし越の後州に行給ひて、久しく駿河の方へきませさりしを、今川家よりしたひ給ふけれは、宗長法師を迎のためにかしこへと勧めすゝめやり給ふ、かへさ(帰る)の道のほと(程)日を重ねつゝ、また越の地にやある日にひたるぎに物せん、いつ こかさるべき方や有、求め給へとの給ふに、やがて長師そこと見巡りて、立戻り屈強一のやとり見出しさぶろう、この草堂に連歌の席有、酒肴も受けたると見ゆ、食はん便よしと打悦ひて云、祇翁聞給ひ其句やきき給ふかとの給ふに、されて花の句をし侍ふに、古都の便り嬉しき花の比、といふを祇微笑みて是はよき句也、これつらの句作するほとの連衆ならば、喰物よろしかるましと狂して笑ひ給ふと、奈良荼煮豆の貧交合、げに道に志て悪衣悪食をはちさるとの聖教もさること、今連俳共に其日の料理美味結構とやいはん、奢とやせんとて有老法師の閑新。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月27日 16時06分20秒
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