2021/11/13(土)18:41
素堂71才 正徳二年(1712)『鉢敲』億麿一素白一編。 --蟻道二周忌追善集--
素堂71才 正徳二年(1712)『鉢敲』億麿一素白一編。--蟻道二周忌追善集-- 摂州伊丹の住、蟻道子しきしに五月中の三日に、世を早うすときくは実か、其人を見すとういへとも、茂兵衛そとしりつつあへれ鉢敲といへる句を耳にとどろきて反面をいる人の如し。今きけは五文字弥兵衛なるよし。されとも東部にてひとのよろこひし茂へいにて侍れは、いまさら改るに忍ひす。 予若かりしころ、難波津にて興行 春日の山の下手代めか 素堂 藤原の又兵衛とそ名乗りけり 梅翁(宗因) と付けられしを人々興に侍りき。又近きころ、中村七三(郎)曽我のふることを仕りけるに、朝比奈も今は落ふれて鳶のものとなりぬ。名をも八郎兵衛とあらためけるよし申けれは、見物の諸人興にいりける。自然と其名の相臆せるにや、古今集、初の名を融位、紫式部は始は藤式部、これらは皆後をよろしとす。又後たりとも、茂へいとこそいはまはほしけれ、それはさるものにて、五月十三日竹酔日とかや。亡友芭蕉が句に、 降らすとも竹うえる日や蓑と笠 この句にすがりて、 竹植える其日を泣や村しくれ 辛卯の年神無月十三日 東部宿 素堂