2021/11/28(日)10:26
甲斐国古代年表 ☆清和天皇、在位(858~876)富士山大噴火
☆清和天皇、在位(858~876)○天安2年(この頃)【『走湯山縁起』】◆不詳…麻績(不詳)…竹生賢安…甲斐国八代郡の人、竹生賢安(たけいのけんあん)が、甲斐国に赴任していた麻績(不詳)と共に走湯権現の霊験を得て、本地仏千手観音像や仏堂の造営に尽力し出家して竹生賢安と称する。○貞観2年(860)1月16日【『三代実録』】◆甲斐守…佐伯真利。従五位下。補任。散位。 ○貞観2年(860)5月5日【『三代実録』】…富士山…駿河国より富士山に五色の雲が現れたと報告。○貞観4年(862)6月5日【『三代実録』】◆甲斐守…橘末茂。従五位下。中務少輔…以中務少輔従五位下橘朝臣末茂為甲斐守。 ○貞観6年(864)5月25日【『三代実録』】…駿河国言…正三位浅間大神大山噴火しその勢い甚だしく、十二、三代実録里四方の山を焼く。その火災の高さ二十丈(約60m)、雷あり、地震三度、十余日を経ても火勢衰えず。岩石を焦がし、嶺を崩し、火山灰雨の如し。煙雲深くして人の近寄るを得ず。富士山の西北本栖湖に溶岩流入する。溶岩の長さ、三十里、幅三四、四里。高さ二十二丈ばかり、火災ついに甲斐国の国境に達すと。(『富士吉田史』)○貞観6年(864)7月17日【『三代実録』】…甲斐国言…駿河国富士の大山に、忽ち暴火あり、崗欄巒を焼き砕き、八代郡本栖并にセの両の水海を埋む。水熱きこと湯の如く、魚鼈皆死し、百姓の居宅、海と共に埋もれ、或いは宅ありて人無きもの、其の数記し難し。両の海以東に、亦水海有り。名付けて河口湖という。火焔赴きて、河口湖に向かう。本栖・セの海、未だ焼け埋もれざるの前、地大いに震動して雷電暴雨あり、雲霧晦冥にして、山野をわかち難く、然るに後のに此の災異有りと。(『富士吉田史』)○貞観6年(864)8月 5日【『三代実録』】 …甲斐国下知…甲斐国下知して云う。駿河国富士山に火ありて、彼の国言上す。之を蓍亀に決するに云わく、浅間神社の禰宜・祝等、斎敬を勤ざるの致す所なりと。仍りて陳謝すべきの状国に告げ知らせ訖わりぬ。宜しく亦奉幣解謝すべしと。○貞観7年(865)3月9日【『三代実録』】…甲斐国に介を置く。○貞観7年(865)この春、【『三代実録』】◆甲斐権掾…土師忠道。補任。…左大臣源信の家人土師忠道が、甲斐権掾に任。 ○貞観7年(865)12月9日【『三代実録』】◆甲斐擬大領…甲斐国八代郡擬大領伴真定の託宣により、同郡に浅間神社の祠を立てて官社とする。○貞観8年(866)1月13日【『三代実録』】◆甲斐守…藤原弘道。従五位下。補任。散位。○貞観9年(867)1月8日【『三代実録』】◆甲斐介…藤原安縄。正六位上。在任。従五位下に。○貞観10年(868)1月16日【『三代実録』】◆甲斐介…道島村島。従五位下。宿禰。○貞観12年(870)1月13日【『三代実録』】◆甲斐守…清原真人。従五位下。補任。○貞観12年(870)3月25日【『三代実録』】◆甲斐守… 清原真人が右京亮に転じる。◆甲斐守…高階菅根。従五位下。補任。◆甲斐権守…小野春江。従五位上。陸奥介。◆甲斐介…御春峯能。従五位下。○貞観13年(871)6月13日【『類聚三代格』】…大政官符…甲斐武蔵両国に令す。先に郡領駅長等が申状に云、牧監主當等の人馬を乗用するは皆其位階に従て法制に恆條あり、而るに御馬長及馬醫、諸生、占部、足工、騎士等の白丁、官符なくして轍く之を乗用す。而るに郡司駅長其暴威を畏れてを制せず。加之天長三年(826)二月の格に、信濃上野両国は各牧監一人、甲斐武蔵両国は各主當一人、馬醫毎国一人、但騎士は馬六匹を率て以て一人に當つ、自陪従其格に従ふべし。…而るに多く雑色を率い公乗を濫用するものあり。国司件の格に據りて其濫行を糺治せんと欲するも、或は事を貢御に託して強て舊附を秘し、嗷論抗争轍く之を改更せず。請ふ厳命を下して永く其濫用を絶たん、若尚ほ恣に之を乗用せば使人は名を録して言上し、雑色人は位蔭を問はず杖六十に决せん、皆應に承和十二(846)の符に依て之行ふべし。路次の諸国も亦皆之に准ず。甲斐武蔵両国宜しく此新制に准じて之を改行すべし。信濃上野の牧監等も亦須く武蔵甲斐両国に准じて厳に懲罰を加ふべし。○貞観14年(872)3月20日【『三代実録』】…矢作部連を賜る。◆甲斐大領…矢作部宅雄。正六位上。甲斐国都留郡。◆甲斐少領…矢作部毎世。従八位上。甲斐国都留郡。