カテゴリ:甲斐武田資料室
父、信玄の死(『甲陽軍鑑』)編著吉田豊氏(一部加筆) 天正三年四月十一日未の刻(午後一時ごろ)から、信玄公のご容態が悪化し、脈がいつになく早くなってきた。十二日夜、亥の刻(午後九時ごろ)には、お口の中にできものができ、歯が五、六本抜けて、それから次第に衰弱されていった。 もはや死脈をうつ状態となられた信玄公は、死をご覚悟になり、病床に譜代の家老たちや、配下を持つ家臣たちすべてお召しになり、次のように仰せられた。 「六年前、駿河へ出陣の前に、板坂法印がいうには自分には、膈(かく)という病気があるとのことであった。この病気は、思慮を重ね、心労が積もったがためになるものだという。
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最終更新日
2021年12月14日 14時36分21秒
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