2008/08/30(土)08:41
木ノ下歌舞伎『三番叟/娘道成寺』 【こまばアゴラ劇場】
〈原案・監修〉 木ノ下裕一
【三番叟】
〈振付〉 芦谷康介
〈演出〉 杉原邦生
芦谷康介 磯和武明 京極朋彦
【娘道成寺】
〈振付・演出・出演〉 きたまり
泥に汚れた、黒と白と灰の定式幕。
1年ぶりのご対面。待ってましたっ!!木ノ下歌舞伎。
だけど今回は芝居じゃなくてダンス。『道成寺』は分かるけど…『三番叟』って?!
どうなるんだろう。興味津々で待っていると、3人の男が並び粛々と長い間(ま)から『どうどうたらりたらりら』で、後ろの幕が一気に引落とされ、そこに現れたのは見事な紅白幕。
んでもって…なんだコレはーーっ!!めでたいと言えばめでたいけど、メチャクチャと言えばメチャクチャだぁ。
種蒔いたら稲が芽を出しとか、ボンボン持って応援してみたりとか祝言舞ってことを表現した後
汗だくになりながら、ただがむしゃらに乱舞、乱舞っ!
わかった。めでたい、めでたいよ。もう十分伝わったって!だから、めでたいんでしょ!
とか思ってたら、ちゃぶ台でご飯を召し上がる御三方。その恩恵を受けて育ったお米?
おわり。だけど、そうだよねぇ。
歌舞伎が『翁』の神聖さを受けとめていたら(細かい事は省略でお願いします。)
”郭”や”舌出し”なんてパロディ恐れ多くて作れるはずないし
めでたさが一番だもんね!三番叟って。
―紅白幕は床に敷かれ
薄暗い中、天井から吊るされたロープに揺らる、望みを成就した女の戯れ。
それとも、これから行う悪戯への予兆。
打って変わって『娘道成寺』はコンテンポラリーダンスで真っ向勝負。
「花笠踊」「鞨鼓」のところも、らしき振りは見せるけど小道具な一切なし。
いくら舞踊劇だからといって長唄とかあるわけで、物語性は薄くなんのかなぁ
と思っていたら、きたまりさん。顔でお芝居されてます。
誘うように艶っぽく、かと思えば冷めた眼つきで白けた表情を浮かべたり。
床に伏せた女。紅白幕はするすると彩りを消し―素人目から見ても『娘道成寺』のほうが見ごたえあるし、もう一度見たいっ!
だけど、思い出すのは『三番叟』のことばかり。
不思議なもんです(笑) ダンス月間、その2。イデビアン・クルー『排気口』 【世田谷パブリックシアター】
舞台は旅館。
ダンスなのにパンフレットに登場人物の相関図なんかがあって、何だか演劇ちっく。
それは昼ドラでも見てるかのような、いささかムチャな人間模様、恋模様。
と、思うのは「温泉へ行こう!」とか「はるちゃん」とかの勝手なイメージ。見たことない…。
始まってみればやっぱり愉快なドタバタコメディ調で、何回もクスクス笑かしてもらいました。
だけど、終盤から微妙に様子が変わって。そうだ!この作品のタイトルは『排気口』だった。その空間や心に沁み込んだ思い出も
感情の揺らぎや世代に追い出されるかのように、やがては当てもなく消え去っていくもの。
新しいものを受け入れるための循環の中にあったささいな出来事。
ちょっぴり切なさも感じる、そんなダンスでした。
黒藤院『朧』 【文京シビックセンター】
10月の山海塾公演を控えた蝉丸さん。
娘さんの舞さんと今回舞台デビューになる6歳の麗さん、親子3人での嬉しい公演。
麗さんの筋肉を見せることのないか細い腕や、無垢に泳ぐ眼差しが何とも妖艶。
お二人とは対照的に、隆起しながら全身を蠢く蝉丸さんの肉塊。
透明のアクリル板に砂で描かれた、星雲のように回転を加えながら放射する無数の帯。
開放?―にも思えるし、吸収とも考えられるしなぁ。う~ん。
それは、もろくも崩されて…
分散した意識の集合体。
実体を得た創造物は喜びと力に満ち、さらに大きな媒体を得るが如く辺りの粒子を鼓舞するよう。
まるで能を見ているような、いつまでも余韻に浸りたい。そんな気分でした。
Baby-Qは、見に行けなかったぁ~。
と、凹んでいたら『SePT独舞 vol.19』は東野祥子さんっ!よっしゃあぁぁーーーっ!!