2013/08/25(日)07:05
★認識能力
意識していないものは認識していない。
NLPで簡単な問題を出してそのことを実証する。
まぁそうだ、人間は見ているようで見ていないし、
聞いているようで聞いていない。
必要か不要かを、無意識の内に判断しているのだ。
名古屋駅前でコインパーキング式駐輪場が拡大している。
駅前は取引銀行に行ったり、業者に書類を届けたりしているから、
頻繁に通る道である。
だから、「また駐輪場を作るんだなぁ~」という感じで見ている。
コインパーキング式なら、大掛かりな工事にならないし、
歩道の一角を使うだけだから、場所もそんなに必要無い。
あちらこちらで、ちょこちょこ工事しているから、
知らないうちに駐輪場が増えているという感じである。
なので「多いなぁ~」という認識にならないのだ。
よくよく考えてみれば、駅前から離れたところまで有るのだから、
駐輪場が拡大されているのは一目瞭然である。
でも、増やしているのが少しずつであることが、
拡大しているという私の認識能力を衰えさせている。
先日、久しぶりに駅裏を通った。
そして驚いたのが、コインパーキング式の駐輪場が、
ずらりと並んでいたことである。
「いつのまに!‥しかもこんなに広範囲に出来ているの?」
突然目の前に現れて、それが奥のほうまで並んでいる駐輪場を見て、
私はびっくりしてしまったのだ。
記憶している風景と現実の風景の差が、私に驚きを与えた。
あまりの差に、意識せざるを得ない状況になったのだ。
駅前と駅裏とで、同じことが繰り広げられているのに、
私が受けた驚きには、大きな差が有った。
何気ない毎日の風景を、もっと気持ちを込めて眺めたのなら、
毎日がもっと煌めいてこの目に映るのではないだろうか?
感動の毎日にするか否かは、私たちの気持ちにかかっている。
毎日しっかりと周りを認識しながら、見つめて歩きたいものである。