かくの如き語りき

2005/06/15(水)22:07

●●●パッチ・アダムス

アメリカ映画(215)

いろんなことを考える。 生命に関わることとなると、 途端に臆病になりがちになる。 理想論に走ると、 現場の人間ではないから 戯言にも聞こえるし、 自分の経験を照らし合われば、 真実味は増すが一般性がなくなる。 それでも考えてばかりだと、 何も進まないのである。 パッチ・アダムス、 彼は思いついたら躊躇わず、 すぐに行動しているように見える。ァ 自らが自殺で精神病院にいた男が、 そこでの出会いがもとで、 医科大学に入学しているのだ。 人を助けることに人生の喜びを見いだし、 たちまち動き始めて、 学生であるに関わらず、臨床にこだわり、 病院に出入りし、患者と接し、 自らが病院まで始めてしまった。 決して若くはない年齢。 だが、行動力は若さではないのだ。 過度の幸福感。 赤く丸い鼻、ヌードルのプール、天使。 パッチと患者たちの間に生まれた、 信頼感とそれに伴う笑顔。 その空間にいることは、 患者達にはブラスになっているのだろう。 そしてロビン・ウィリアムズ演じるパッチは、 その空間にいることの幸せは、 稀有の表現力で表しているのだ。 さぞ、幸せなことだろう、と思う。 自分のしていることが、 生命を救っているのだ。 逆を考えればいい。 命を奪うことばかり、続けたら。 通常の神経ならば、幸せにはなるまい。 パッチの行動力はすごい。 「お元気で病院」の設立、病院から、 備品を拝借して、資格のないまま診察する。 大学のテストの成績も頗るいい。 患者達も笑顔に包まれている。 確実な成果を上げてはいたのだ。 彼は思考を逡巡し、 思い悩む暇もなく走っていた。 だから、やはり、見落としたのだ。 愛しい女性が患者に殺される。 患者も自殺する。 彼の足はどんよりと重くなり、 やがて、疾走することを止めた。 だがそもそも。 彼が、疾走することで、 救われた者たちがどれだけいたことか。 現実を考え、計算し、配慮し、思い悩む間も、 患者達は病気で苦しんでいる。 考えている間にも苦しんでいる。 パッチ・アダムス、彼をそこまで駆り立てる、 過度の幸福感というものが、 とても純粋なものに見えてくる。 そもそも、「患者を癒すこと」しか 彼は考えていないのだ。 そうは、いかないのだ、と。 私はまた、いろいろ、考えていた。 と、同時に、 笑い、のことを考えていた。 思わぬことで、笑うこともあるが、 滑稽な仕草や言葉だけでは笑えない。 過度な幸福感に溺れ、 いつまでも純粋にはいられない。 だがその純粋が消えれば、医療ではなくなる。 パッチ・アダムスではなくなる。 この映画には、たくさんの感動があるが、 一人の男が成長の軌跡にも見える。 卒業式。 体制に順応したかに見えるパッチ。 とんでもない、学生たちは 彼のお尻を観て、歓声をあげ笑っていた。

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