かくの如き語りき

2005/10/13(木)01:46

●●●シンデレラマン

アメリカ映画(215)

1929年、アメリカの経済は、 大恐慌時代に突入し、壊滅状態となる。 仕事がなくなる。 収入がなくなる。 だが、失業者たちにも家族がある。 ジム・ブラドックの人生が、 この時代と重なったとき、 彼は何のために戦うかを悟っていた。 順風満帆のボクサーだった彼が、 怪我によって引退を余儀なくされる。 港湾労働者の職で食いつなぐが、 毎日得られるものではない。 それまでの賞金は株と起業で消え、 借金の上に借金を重ね、 ついには家の電気を止められる。 妻のメイは町の木造物を 子どもたちを盗んで暖房にあてる。 だが幼い子どもは病気で苦しんでいた。 その試合は、 たった一夜限りのはずだった。 ボクサー時代のマネージャーが、 突然持ってきたのは、勝ち目のない試合。 新進ボクサーは容赦なく、 老いたブラドックを打ち込んでくる。 だが彼は倒れなかった。 脳裏に浮かぶのは苦労をかけた、 愛しい家族の姿。 ブラドックは攻撃を始めた。 1Rも持たないと思われたはずが、 思わぬ勝利を彼は勝ち取っていた。 その勝利が、彼のみならず、 時代に勇気を与えようとしていた。 勝ち続ける者と負け続ける者とは、 その目に宿す眼の輝きが違う。 強い存在感を放つラッセル・クロウの眼が 精彩をなくしているのが興味深い。 負け続けることで時に人は、 本来持っている力さえ奪い取っていく。 夢や希望に向かって踏み出すにも、 萎えた心では前に進めない。 だがブラドックはリングの上で、 倒れなかったのである。 倒れるどころか、攻撃を続けていた。 勝者であり続ける人は少ない。 敗者となり、表舞台から立ち去ることは、 人からたくさんのものを奪っていく。 だが、残っているものがある。 決して、奪えないものがある。 ブラドックには家族があった。 彼のマネージャーのジョーは、 なけなしの家具を売ってブラドックに賭けた。 プロモーターとしての希望が、 また消えずに残っていた。 レネー・ゼルウィガーが演じるメイは、 相反する妻としての気持ちをくっきり見せる。 ボクサーとしての夫は誇りでもあるが、 死と隣り合わせの仕事に不安は隠せない。 マネージャーを演じるポール・ジアマティ、 彼の好演がこの作品にリアリティを付加する。 ブラドックへの哀れみと自分の生活の窮状、 だがそれら全てが彼自身の希望へと変化していく。 人なつっこい演技の中に巧さがある。 また負けるかも知れない、 取り返しのつかないことになるかも知れない。 挑戦者を死に追いやったチャンピオンに挑み ブラドックはリングに立つ。 しかし死はどんな仕事にもあるし、 港湾労働の仕事は、 彼の左のパンチに力を与えていた。 シンデレラマン。 おとぎばなしいの主人公が重なる。 だが、リングに立ち続けたブラドックは、 決しておとぎ話の主人公ではない。 倒れずにリングに立っていただけ、 そうして自分に残った大切なものを、 最後まで守りきったのである。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る