かくの如き語りき

2005/12/04(日)21:50

●●●義経~生々流転、万物は流れていく

テレビ番組作品(70)

源義経の人生も終盤となる。 逃亡の旅の果てに迎えられた北の地、 奥州の王者は快く義経主従を迎え入れる。 藤原秀衡、全てを受け入れた上での 偽りのない歓待、暖かい。 泰衡ら子たちも変わらぬ姿である。 穏やかな日々を過ごしたかつての館に戻り、 郎党が観るのは金色の屏風である。 平清盛が夢見た福原の都、 新しき国の夢それは今、義経の胸にある。 京より吉次が知らせたのは、 静御前の話である。 しずやしず、 鶴岡八幡宮の祝いの席で、 頼朝ではなく、義経を想って舞ったという、 生まれたのは女子、 その子とともに京にいると、 吉次は言うが顔は曇っていいる。 真実は義経にも明らかであった。 新しき国、それは。 清盛入道と語った夢の都、 異国との商いで栄え、人々は皆豊かで、 親兄弟が争わず安寧に暮らす国。 秀衡には全てが見えていた。 源義経の夢は鎌倉にはなかっただろう。 ならばここで作るがいい、と 奥州の王者は快く義経を受け入れる。 奥州の王者はなおもこの国を、 豊かにしようと夢を見ているようでもある。 誰の目も豊かな北の王国である。 だが、まだ彼は先を見ているようである。 だが生々流転。 万物は全て流れていく。 かつて義経に継ぎ従い、 奥州を出た佐藤継信、忠信兄弟は死に、 鷲尾三郎義久が初めて奥州の地を踏んだ。 時は流れていく、 北に王国を作り上げた王者は、 義経よりも誰よりも、 源頼朝との決着に気づいていた。 藤原秀衡は知っていたのだ、 何か理由があれば鎌倉は北にやってくる。 こちらからは攻め込まぬ、 だが白川の関を越えるならば、 戦う覚悟を秘めていた。 白川の関を越えたならば。 頼朝は奥州の王者の格を感じていた。 どっしりと立つ王者の姿を感じていた。 だが、藤原泰衡は違う。 息子に四代目継承を宣言した後、 秀衡は病の床につく。 そして巨星墜つ。 頼朝には奥州が見えていた。 そこにいる義経の姿も、きっと。 若きもののふの人生はそうして遂に、 終盤へと差しかかることとなる。 誰も伝えてはくれぬ、 誰も教えてはくれぬ、 偉大な人物も 未来に夢を託そうとも叶わぬまま、 終焉へと向かっていくのである、終焉へと。 だが命は消えるまである。

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