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カテゴリ:ヨギチョギヨヘンギ(あちこち旅行記)
沖縄『慰霊の日』 でした。 今から63年前の今日、 軍民あわせて20万人もの犠牲者を出した地上戦が 終結したそうでした。 この63年の間、 沖縄の方々はいろいろな思いがあったと思いますし、 戦後は27年間米軍の統治を受けていました。 今回、 観光客として、沖縄の観光地に行ったときには その惨劇のことは忘れていました。 特に、戦争に関するところや アメリカ軍の施設の近くには 意識的に行きませんでした。 でも、沖縄であったことは日本人として 忘れてはならないことだと、今日は強く思いました。 そのような沖縄ですが 先日わたしが行った時には、 戦争が起こる前、 まだ琉球王国があった時の遺跡 首里城へ行って参りました。 首里城は14世紀末に創建された 中国や日本の文化も混合する琉球独特の城。 63年前の沖縄戦で消滅しましたが、 1992年ごろに復元されました。 そして、 2000年12月には首里城跡が世界遺産に登録されました。 その首里城ですが、 わたしが撮った写真で、ご案内いたします。 まず、最初にわたしたちを迎えてくれたのは この門でした。 守礼門 守礼門をくぐって10数メートルくらい先の左手に、 世界遺産があります。 園比屋武御嶽石門 そのひゃんうたきいしもんと読みます。 それを過ぎて、30メートルくらい先に 城郭内への最初の門があります。 歓会門 石門の上に木造の櫓(やぐら)が載っているのが特徴だそうです。 次の門までのところからの眺め。 そして、階段を上がると また次の門があります。 瑞泉門 次が漏刻門(ろうこくもん)と言うものがあるのですが 写真を撮り忘れたようです。 その門をくぐると赤い門が見えます。 広福門 『広福(こうふく)』には、 「福を行き渡らせる」 という意味があるそうです。 御庭、正殿へは次の門をくぐらないと行けません。 奉神門 3つの入り口があるのですが 真ん中の門は、身分の高い人しか通れなかったそうです。 そんな気分を味わいたかったので わたしも真ん中の門をくぐりました。 門の先は開けていました。 正殿と、その前にある御庭(うなー)です。 正殿 正殿向かって左は北殿。 北殿 右は南殿 南殿 正殿の中も、撮影が許されていました。 2階の御差床(うさすか) 真ん中は、国王専用椅子だそうです。 1階の御差床(うさすか) こちらも真ん中が国王が座るところだそうです。 見えにくいですが、両脇に平御差床があり、 こちらには国王の子や孫が座ったそうです。 唐玻豊(からはふ) 後ろの格子は窓でその向こうには御庭があります。 正月などの儀式の時 国王は子に部屋の窓を開けて正殿正面の御庭に座る 役人たちを見渡したそうです。 これで正殿の中はおわりですが、 面白いものを見つけました。 北殿の中にトイレがありました。 洗面所の蛇口がシーサーでした。 最後に 右掖門(うえきもん) と 久慶門(きゅうけいもん) をくぐって、一通りの見学は終りました。 琉球王国をほんの少しだけ 感じることができました。 建物は再建したものがほとんどですが 日本にありながら、本州と異なる文化を形成してきた 琉球王国と言うものの存在を再認識しました。 もし、沖縄へいらっしゃる予定がおありの方は 是非ご訪問されることをお勧めします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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