あれから一ヶ月・・・
みなさん、こんにちわー。ハイチであの地震が発生してから、約一ヶ月になります。そんな28日後の今日(もう昨日になりましたけど)、また一人の生存者が見つかったそうです!!今日は、もう一つの生存者のお話をミクシィのコミュの方でみつけた情報からここにもシェアさせていただきたいと思います。***********************************22歳のミシェレンさん(Michelene Joassaint)が、 赤ちゃんを産んだのは、その日の8日前だった。 そして、その日の夕方、 突然、ミシェレンさんの家を、 激しい揺れが襲った。 2010年1月12日16時53分、 首都ポルトープランスの西南西約15km、 深さ10kmを震源とする マグニチュード7.0の地震が、 ハイチの人々を襲った。 1階に居たミシェレンさんは、 赤ちゃんの寝ている2階へと走った。 だが、ミシェレンさんが 赤ちゃんのもとへとたどり着く前に、 家は崩れ落ちた。 ミシェレンさんは、救出され、一命を取り留めたが、 赤ちゃんは、崩れ落ちた瓦礫の、奥深くに埋もれた。 お母さんや、家族、近所の人たちの 懸命の捜索にもかかわらず、 結局、赤ちゃんを見つからなかった。 それから1週間がたった。 瓦礫と化したミシェレンさんの家の 本格的な撤去と、 赤ちゃんの遺体の回収が始まった。 しかし、掘り出されたベビーベッドの中に、 作業員が見たものは、遺体ではなく、 生きた赤ちゃんだった。 「誰もが、あの子が死んだと、信じて疑わなかったよ。 でも、ただ神様だけは、そうじゃなかった。」 救出された赤ちゃん、エリザベスちゃん(Elisabeth)の おじいちゃんは、そう語った。 今年、1月12日に起きたハイチの地震では、 すでに20万人以上の死亡が確認された。 しかし、ハイチの多くの子どもたちは、 この地震の災害が起きる前から、 辛い生活を強いられてきた。 人口の8割が貧困の中で生活をし、 人口の半分は、毎日を60円足らずで生きてきた。 南米の人口の2%に過ぎないこの国で、 南米で死んで行く子どもの 5人に1人がハイチの子どもだった。 毎年、2000人もの子どもたちが、 路上やスラムから、誘拐され、 国外へと消えていった。 また、20万人とも30万人とも言われる子どもたちが レスタベク(restavec)と呼ばれる 奴隷のよう暮らしをさせられてきた。 ハイチの子どもたちは、 地震が起きる、ずっと前から、 目に見えない瓦礫のずっと奥に埋もれていた。 そして、今度の震災だ。 大勢の子どもが怪我をし、手足を失い、 数千人の子どもたちが、家族と離れ離れになり、 数千人の子どもたちが孤児となり、 何万人もの子どもが、死んでいった。 また、行方の知れない子どもたちの数は、 誰にも分からない。 世界の政府機関は、先月1月には、 アメリカは、1億ドル(約90億円)、 日本も、7000万ドル(約63億円)の支援を発表、 さらに、今月2月4日、 EUも4億ユーロ(約550億円)を 人道・復興支援金として拠出することを決定するなど、 各国が支援を表明している。 それら政府機関に加えて、 非政府組織NGOに集まった寄付金の額は、 2月3日の時点で、アメリカ国内だけで、 総額6億4千万ドル(約580億円)を超えたと、 慈善活動専門誌 クロニクル・オブ・フィランスロピーは発表した。 世界は、ハイチの国を、街を、 何より人々を、 瓦礫の中から救い出すことができるだろうか? そして、崩れた建物の瓦礫とともに、 ハイチの子どもたちにのしかかっていた、 「見えない瓦礫」も、 取り除くことができるだろうか。 ハイチ政府は、公式には救助作業の終了を宣言したが、 一部の救援チームは、その後も救援活動を続け、 1月27日にも16歳の少女を救出した。 世界中から集まった2千人以上の救援隊が、 これまでに130人以上を、 瓦礫の下から救い出した。 7日間も暗闇の中で、 水もミルクも飲むことの出来なかった 生後15日のエリザベスちゃんは、 崩壊した病院の隣に作られた 仮設の医療施設で、 1週間ぶりに、お母さんのお乳を飲むことが出来たという。 エリザベスちゃんには、 どんな未来が待っているだろうか。 国連の推計では、 被災地域に、今、6万3千人の妊婦がいて、 今月、7千人が出産を迎えると国連は推計している。 そのうち千人は、早産など、 大きなリスクを抱えている。 *****************************ミクシィコミュ:世界の肖像