三河の住人の庵

2021/03/06(土)19:41

岡崎市に柴田勝家の墓がある

歴史散歩(44)

借りていた本を返しに幸田町図書館まで7kmを歩いて行った。 帰り道、岡崎市福岡町で以前見た武田信玄の武将「山本勘助」の墓に寄ることにした。 途中で場所が分からなくなってWebで調べたら、勘助の墓のすぐ近くの寺に「柴田勝家」の墓があることがわかった。 今日返した本「神君家康の密書」に「冥土の茶席」という短編が収録されていた。 柴田勝家が信長から下賜された井戸茶碗にまつわる物語だった。 偶然とは思えぬ繋がりを感じて参拝することにした。 寺の手前で由緒ありげな神社「勝淵神社」を見つけた。 祭神 天津児屋根命 柴田勝家 神社名の揮毫は「文学博士 井上圓了」 越後長岡藩出身、東洋大学創始者、哲学者、妖怪博士とよばれている。 圓了が柴田勝家とどう繋がるのかは不明。 いずれまた調べてみたい。 神社の由緒書によれば 勝家の孫 勝重が大坂の役の軍功により武蔵国三鷹に領地を賜った。 勝重の孫 勝門の時、三河国に移封されたとある。 成光寺というところにあった。 北陸北之庄で亡くなった柴田勝家の墓である。 ここから山本勘助の墓まではほんのわずかな距離。 永井城跡の標柱のある畑と道をはさんで相対している。 岡崎市福岡町は江戸時代の旗本領地跡のたくさんあるところだから、探せば高名な武将の末裔の古地が見つかるはずである。

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