他人を攻撃するひとたち
今回の震災、原発などに関しては、いろんな人のいろんな価値基準がモロに出てきて、それらに思うところが多すぎました。そんななか、内藤みかさんのブログに激しく同感。http://plaza.rakuten.co.jp/micanaitoh/diary/201104170000/私も自分で考えて15日朝の段階でいったん避難したので、内藤さんの気持ちがよくわかります。大なり小なり似たことが私の周囲でもおきました。どんなことに対しても、他人の決定を攻撃してくる人が絶対にいます。これは日本特有のものなのか、人間誰しもそうなのか。でも、海外の友人、知人の周囲で同時におこっていた現象と比べてみて、やっぱり日本は特にその傾向がつよい気がします。他人からどう見られるかを気にしすぎる。それが正しく働くうちは「思いやり」というのでしょう。でも、他人に強制する「思いやり」は凶器になります。平等という言葉を悪いようにふりかざす元を正すと、それは実は嫉妬だったり。自分の不安をごまかすためのものだったり。周囲に迷惑だとか、逃げられない人はどうしたらいいんだとか、国が信じられないのか、とか。周囲への迷惑をうたう意見。これら意見はどの問題にたいしてもみうけられるものでした。風評被害なども同じ。でも、これらすべての意見を同時に満たす理想的な選択肢なんてないと思います。ならば、どうするか?自分の選択が未来をつくるのだから、自分が責任をもってものごとを調べ、そのとき、自分がとりうる最善策をとることが大事だと思うんです。うごけるのにうごかなかったら絶対に後悔しますし。内藤さんもおっしゃっていますが、動かないのが実は一番楽。そして、そういった文句を言う人は動いていない人、動かない理由を捜している人が多かったりする。動いた人を臆病者と責めたり、他人に迷惑だって非難したり。他人は自分の人生に責任をもってくれません。死ぬ前に後悔はなるべく小さく。いつも全力で生きる。これが私のモットー。だから、自分がどうしたいかが一番大事。もちろんその際に周囲への配慮はしますが、あまりにも他人にどう思われるかを気にしすぎては動けません。万が一のときに誰にも文句はいえません。言ってもあとのまつりのことが多いです。でも、なにごとも自分で決めたことなら、万が一何があったにしても、ま、しゃーないなってあきらめもつくと思うんです。そういうあれこれを分かった上で、行動をとれる人とそうでない人がいました。どの選択肢を選んだことは重要ではなく、いざというときに、のちのち後悔しない選択肢を自分で考えて選べたかということが大事。ちゃんと危険なときに危険と気づいて、自分でどうするか決められたかが大事。何を信じるか、どう動くかは自分次第。それを他人に強要せず、自分は自分、他人は他人。自分が決めた選択肢にそれぞれが納得できればいいんじゃないかなと。自分で考えず他人に流され、他人からどう思われるかを気にしすぎて自分の思うよう行動できず、結果、他人のせいにする人生と自分で決めてどんな結果にも納得する人生。私は後者を選びます。このことについては、今後いろいろとお話に書いていきたいと思うので、日記では簡単に触れておく程度にとどめておきます。ほんとにニュース一つとってみてもよくよく観察してみると、いろんな発見があります。本能を鍛えておくことや、普段から何を誰を信じるかという軸を持っておくことも大事と思います。【送料無料】ナターシャ価格:1,365円(税込、送料別)ちなみにこの本は最近図書館でみかけたものですが、とてもわかりやすく原発事故がどういったものかを伝えてくれる本です。著者は、かぎばあさんシリーズをかかれた方です。子供をもつお母さんには特によんでもらいたい本です。これとまったく同じことがおきているわけではありませんが、今この瞬間でよむと自分ごととしてとらえられると思います。あまりにもよい本で、いずれ子供に読ませたいなと思った本だったのでアマゾンでポチりました。